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●アイヤ会の沿革


1996年5月25日(土)

JRPS総会で、この部会が承認される。

1996年9月23日(月)

世界網膜の日(World Retina Day)

東京都北区王子にある「東京都障害者総合スポーツセンター」で、初の会合。

1997年8月9日(土)

東京都新宿区にある、料理の鉄人、坂井宏行さんの店「プティ プラザ ラ・ロシェル」にて国立身体障害者リハビリテーションセンターの森本行雄先生を招き夏の食事会を開催。

初代会長小野塚ゆかさんも同席のもと、これまで聴覚障害を伴う会員の部会と称してきた会の名前が「アイヤ会」と決定される。鉄人坂井さんからはワインの差し入れもあった。

1998年3月14日(土)

大阪大学医学部眼科学教室山本修士先生を招いて「料理の鉄人」が放送を開始してから負け知らずだった鉄人に初めて土をつけた料理人、程一彦(ていかずひこ)さんのレストラン台湾料理「龍潭(りゅうたん)」(大阪市北区)において春の食事会を開催。

1998年9月27日(日)

栃木盲ろう者友の会「ひばり」創立記念大会、交流会に参加。

場所 宇都宮市総合福祉センター9F

1999年3月20日(土)

大阪市北区にある「梅の花」西梅田店で春の食事会開催。豆腐料理を楽しむ。食事会終了後、食事会参加者全員で大阪心斎橋「メガネのタナカ」で行われた「目と耳の福祉機器展」を見学。

1999年10月9日(土)

東京都港区にある「梅の花」青山店で秋の食事会を開催。

前回の、豆腐とゆばを中心とした和の料理が好評だったので、引き続き豆腐料理を堪能する。

2000年9月23日(土)

「WRD in 静岡」を静岡支部設立準備会とアイヤ会で共催。

講師として、

浜松医科大学病院 眼科 堀田喜裕先生(現アイヤ会顧問)

講演内容 「網膜色素変性症の最近の話題」

浜松医科大学病院耳鼻科 岩崎 聡先生(現アイヤ会顧問)

講演内容 「アッシャー症候群と難聴、難聴に対する対応」

を招き、OHP(要約筆記)とアシストホーン(赤外線補聴システム)という情報保障を取り入れ、視聴覚重複障害者も参加しやすい医学講演を開催した。

2001年1月20日

「アイヤ会メーリングリスト」スタート!

会員同士の連絡、親睦、情報交換のためにメーリングリストを立ち上げる。名称を「アイヤ会ML」とする。アイヤ会のメンバーは各支部にまたがって登録されているので、集まるのが困難なため、有効なコミュニケーション手段であり、いまではアイヤ会の情報交換には、なくてはならないものとなった。

2001年 春

本部からアイヤ会に関する文書が示され、中途半端な位置だったアイヤ会が活発に活動できるようになった。同時に、この年の春から、アイヤ会の代表は支部長同様の扱いとなって年2回の支部長会議に出席できるようになり、アイヤ会が更に活動しやすくなった。

2001年5月20日(日)

JRPS第七回定期総会(東京の江東区豊洲文化センター・地下1階 レクホール)において、本部主催の情報保障としては初の試みとして、パソコン要約筆記を舞台袖のスクリーン上に映し出す方法が取り入れられる。

先進的な情報保障で、これを機に、本部主催のイベントにはなんらかの情報保障が取り入れられるようになった。アイヤ会は、総会の参加者からの感想を聞き、「アイヤ会レポート」としてまとめ、本部会報誌へ投稿する。

2001年9月16日(日)(本部会報35号参照)

近畿支部とアイヤ会共催による「世界網膜の日 in 兵庫」(神戸市)を開催。支部のマスメディアによる告知が功を奏し、患者(131名)、家族、ボランティア、来賓など200名を超える参加があり、大盛況に終わる。

講師は浜松医科大学眼科教授 堀田喜裕先生の講演「網膜色素変性症と合併症」アイヤ会は部会員がレポートとして「PC要約筆記と会えて」(アイヤ会報告)を本部会報に投稿。


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