あぁるぴぃ千葉県支部だより40号


■投稿■

★心の目を開いてください!

市原市 坂本 正治
 私は現在千葉県市原市に住む坂本と言います。
 子供の頃、夜になると周りの子達は平気で走り回っているのに、私は真っ暗に見えて、また、それが怖くて一歩も歩くことができませんでした。そして、両親に眼科医院に連れて行かれました。そこの眼科医院で告げられたのが「網膜色素変性症」でした。この病気は徐々に進行して将来は失明すると告げられたそうです。それから、色々な眼科医院を回ってみましたが、だんだんと私の視力は衰えて来ました。以前は、昼間ならば一人でも歩くことができたのに、少しずつ視力が落ちて、10年ぐらい前から一人で歩く事が困難になりました。
 仕事のことは、高校時代に将来の自分の運命を知っていたので、高校卒業してすぐに指圧の専門学校に進学しました。視力を失ったときには、すでに、自宅で指圧医院を開業していたため、仕事に対する不安はありませんでした。
 父親は今から14年前に脳出血により左半身不随になり、施設に入居することになりました。また、母親は今から7年前に肝臓癌で亡くなりました。それから、私は一人で暮らすようになりました。一人暮らしになってからは、市役所の障害福祉課に依頼して、ホームヘルパーに助けられ生活してきました。そのヘルパーさんの紹介で、同じ五井地区在住で私と同じ視力障害を持つ佐藤さんを知りました。その佐藤さんは、視力にハンデイを持ちながら、一人で料理を作ったり、点字を覚え、またパソコンも使いこなしていると知らされました。佐藤さんを通じて視覚障害者用音声パソコンを知り、また、JRPSの存在を知らされ、太田さんや広瀬さんと知り合い現在に至っています。JRPSの活動と会員の皆さんの明るさに驚かされました。会に入会してみて、一人で家に閉じこもっていた自分が恥ずかしく思い、そして励みにもなり、頼もしい味方を得ることができました。
 JRPSの会員になって、他の視覚障害者の人達で、現在の自分の立場を悲観して家に閉じこもり、人間不信になり、心までも閉ざしている人達が多いことを知りました。実際、私も目が不自由なため、陰湿ないじめを受けたことも多くありました。そのため、ついつい捻くれた心を持った時期もありました。そんな私が、今、家に閉じこもっている人達に対してそれを批判する資格がないと思います。しかしながら、世の中には優しい心を持ち、手を差し伸べてくれている人達も、数多くいることも事実だと思います。周りに対して心を閉ざしていれば、せっかく差し伸べて頂いている手を見つけることはできないと思います。よく視力に障害を持つ人が、「他人に俺の気持ちが判るはずがない」と言う人がいますが、それは間違っていると思います。確かに五体満足な人には、私達の気持ちを理解するのは難しいこともあると思います。でも、なんとか力になりたいと強い気持ちを持つ人達もたくさんいると思います。事実、私の高校時代からの親友は、旅行に行くたびに、「また行こうな」などと言ってくれるし、他にも多くの人達に助けられ、今、私は生活しています。たとえ肉体的な目は見えなくても、心の目まで閉じてしまってはもったいないと思います。
 目が見えないことが不幸ではなくて、心の目を閉ざしていることの方が不幸だと思います。家に閉じこもっていても何の解決にならないと思います。
 今、親に頼って生きている人達は、親はいつまでも傍にはいてくれないと言うことに気付いてください。最後は、自分自身で歩いていかなくてはいけないと言うことに。そのためにも、心の目を絶対に閉ざさないで下さい。
 目が不自由なことが不幸ではなくて、目以外は全て健康なんだから自分はまだまだ幸せな方だと思ってください。事実、私は周りの方達から「確かに目は不自由だけど、他の体を丈夫に産んでくれたお母さんに感謝しないといけない」と言われます。そして、自分自身もそう思います。世の中には、必要のない人はいないことも覚えてください。むしろ、目が不自由なことを差別した考え方をする人間こそ、最も哀れな障害者だと思ってください。今、引き篭もっている人達、早く心の目を開いてください。多くの人達が手を差し伸べてくれていますよ。


★小笠原さんの思い出

支部長 小出 佳子
 「心豊かに生きる」、5月28日の千葉で開催される全国大会での高梨憲次先生の演題を考えてくださったのは、小笠原美興(よしおき)さんでした。その講演を聞かぬまま小笠原さんは逝ってしまわれました。
 一代目支部長濱田さんの時からJRPS千葉の行事に参加され、とても静かで温和なお人柄が印象的でした。全盲でありながら白杖で単独行動も多く、昨年の太田さん宅での発送作業にもお一人で太田さん宅の最寄りバス停までいらしていました。
 お目にかかる機会が増えるうちに、私は、ぜひ全盲での立場からのご意見をいただきたく、小笠原さんに役員をお願いいたしました。お引き受けいただき2年は過ぎましたでしょうか。まだまだこれから、会として様々な面でお世話になるつもりでした。私個人としても、人生における先輩、視覚障害のパイオニアとしての小笠原さんに、さらに多くを学び、お導きいただくつもりでした。亡くなられたことは本当に残念でなりません。
 JRPSという会を通じて様々な人と知り合うことができることを、私はたいへん幸せに思っています。しかしながら、出会いが多ければ多いほど、別れもまた多いのだと痛感せざるを得ません。広瀬さんより報告を受けたのは1月の21日。会員では誰ひとり小笠原さんの悲報を知る者はなく、私たちは新年会も済ませてしまっていました。私はこの悲報に対して何をしたらよいのかわからず、混乱しておりました。
 小笠原さんが1月1日に永眠されてから1ヶ月以上もたってしまった今、やっと、私の心の中の小笠原さんを、こうして書くことができました。そうそう、確かバッハの「マタイ受難曲」がお好きでした。ご家族のお話では、ビールもお酒もお好きだったそうですね。
 私たち、役員一同は、小笠原さんの思いを引継ぎ、全国大会へ向け力を注ぐつもりでおります。
 小笠原さんのご冥福を心より御祈り申し上げます。


★ご冥福をお祈りします

千葉市 佐々木 貞子
 私の関わっている団体は、ガイドヘルパーやボランティアの研修を行っています。
 形式的な学習ではなく、実践的で当事者から学ぶ研修とするため、視覚障害を持つ人や車椅子を利用している人たちに、受講者の先生として参加していただいています。
 小笠原さんには2回ご参加いただきました。いつも快くお引き受けいただいて、ありがたかったことを思い出します。
 寡黙で温和な方で、お会いすると何故かホッとした気持ちになれました。
 ご冥福をお祈りいたします。


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