あぁるぴぃ千葉県支部だより52号


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★アンニョンハセヨ! 私の初めての海外一人旅(第3回)

千葉市 佐々木 貞子
 「アンニョンハセヨ」とは、「こんにちは」という韓国語です。私は昨年9月4日から4泊5日で韓国の首都ソウルに行ってきました。初めての海外旅行でしたが、ツアーとはいえ、サポートが約束されていない全盲の一人旅。私にとって小さな冒険旅行でした。
 「第7回DPI(障害者インターナショナル)世界会議韓国大会」は、9月5日の開会式から始まりました。71カ国・地域から、2700名以上の人々が集まり、日本からも300名が参加しました。障害の有無、障害種別を超え、国境や民族を超え、「障害者の公民権法」と言われる障害者権利条約の採択を祝い、その理念を実質的なものとするため次の努力へと決意を新たにしました。自分たちの生活や社会を変え、実質的な平等を得るためには、条約に基づいて各国の法律や制度を変えなければならないのです。
 開会式に続き、基調講演、ソウル市長の歓迎レセプションを終えてTさんとホテルに帰り着いたのは午後9時過ぎだったでしょうか。今夜はもう一人の同室者、松葉杖使用のEさんも加わりました。
「はじめまして」「ハードスケジュールでしたね」「お先にお風呂へどうぞ」などと言って就寝の支度をしている間に「な、なんと!」トイレが詰まってしまったのです! 信じられない! ここは五つ星ホテルだろう! 唖然としてフロントへ電話、事情を話しました。日本語の通じるフロントで良かった。
 ところが、来てくれたのは気難しそうなおじさま。日本語は話せないようです。事情が伝わっていなかったのか、水のタンクを少しいじった後、レバーをジャー。ふたをしている便器から汚水があふれて・・・。「マア!!」3人が絶句している間に無言で部屋から出て行ってしまい、戻ってきません。
もう一度電話。フロントだけが頼りです。そして少し若い男の人が現れ、トイレの詰まりは解決。でも、すぐにまた無言で出て行ってしまったのです。修繕と清掃は別ということか・・・。仕方なく掃除を始めようとしたTさんに私は思わず叫びました。
「ま、待って! ここは五つ星ホテル、私たちはお客!」「そうよね!」
気を取り直したTさんは再びフロントへ電話しました。今度はメイドさんが来てくれ、やっときれいになりました。チップを手渡すとそれまで無表情だったメイドさんは「マダム、ほんと大変でしたよ」というような顔をしていたそうです。結局、私たちは入浴もそこそこ、ぐったりしてベッドへ入りました。
「トイレの詰まり、私が使った後じゃなくて良かった・・・」私は横になりながら妙な安堵感を感じていました。やれやれ、ハプニングラッシュの一日は終わりました。
 翌日、世界大会2日目。権利条約の条文に則して各分科会が開かれ、私は教育や女性障害者の分科会に参加しました。5ヶ国語対応の同時通訳機の使い方にもだいぶ慣れてきました。私は昨日に続き、Tさんと一緒に行動していました。
「ゆっくり休む時間がないですね」「明日の朝もはやいし今日は早めにホテルへ帰りましょう」と話しあっていました。
会場となっているキンテックス国際展示場の広いフロアには、各国のDPIのブースが点在し、活動の記録や機関紙などが紹介されているほか、参加者同士の交流の場となっていました。DPIジャパンのブースも、日本から来た参加者が三々五々集まって来てあちらこちらでおしゃべりの輪が広がっています。
私は、DPIジャパンの事務局のKさんと久しぶりに出会いました。彼は面倒見がよくひょうきんな人。
「今度、国土交通省の交通バリアフリーの何とか検討会の委員になったからサ。韓国の駅のバリアフリーチェックに、今朝はホテルから一人で電車に乗ってここへ来たよ。降りる駅、間違えちゃったけど」と笑っていました。
 Kさんは韓国語が少し話せるそうですが全盲です。白杖1本で見知らぬ外国の地下鉄を乗り換えながらたずね歩きたどり着いたとはつわものです。
「佐々木さん、夕食はどうするの? 僕、久しぶりの人たちと食事するんだけど、一緒にどう」
ある外資系の企業が社会貢献の一貫として、障害者リーダーを育成する海外派遣事業を行なっています。意欲的で有能な障害のある若者が海外で先進的な幅広い知識と経験を得、彼らが地域で活躍し、障害のある人の生活の向上につなげようという、いわば未来を切り拓く留学生制度です。現在日本の様々な分野で目覚しい活躍をしている障害のある人の多くがこの事業で若い頃、海外へ行った経験があります。
また、1999年からアジア太平洋地域の障害のある人を日本に受け入れ、国内の各福祉機関で研修を受けてもらうという事業もあります。その研修の受け入れ先の一つがDPI事務局で、食事に集まるのはその時にKさんが担当した青年たち、彼の教え子です。
「どうします?」「せっかくの機会だから・・・」と、戸惑いながらも私たちはその気になり、彼についていくことになりました。さっきまで「体調が悪い」「疲れているから無理をしないようにしなくちゃ」などと言っていたのに。Tさんとは2日前に会ったばかりなのに、好奇心旺盛なところは、まったく似たもの同士です。
 集まってきたのは、20才から30才前半の男女、台湾やカザフスタンなどの若者たち、この研修はアジア太平洋のそれぞれの国から毎年1名ずつが選抜されます。いわば障害のある人の各国のエリートたちです。
先ず、会場からバスに乗り、ホテル近くのソウル中心部に戻ることになりましたが、普通でも1時間はかかる道程、車が込んでなかなか到着しません。やっとお店を探し始めたのは、午後8時をとうに回っていた頃でした。その日は雨上がりで気温が下がり、私は長袖のジャケットを羽織ってはいたものの、とても寒く風邪を引くかと心配でした。旅行の最中に体調を崩すことだけは避けたいと思っていました。
 内心早くお店に入りたかったのですが、車いすを使用している3人を含めた10人の団体が入れるお店はすぐには見つからないかなとも思っていました。数件目にたずねたお店でOKが出、ホッとしたのもつかの間、店員はいきなり焼肉のセットを外へ運び出し、店の前、道路の横で準備しはじめたのです。
エッ! 外でと言うこと!! まあ驚きました。
「アッ、佐々木さん、寒いんだよね」というKさんの言葉に「だ・大丈夫、どうせ飲んだら暖かくなるわよ」と応えました。そしてパーティーは、道端のイチョウの木の下で始まりました。少し離れたところでは車も走っています。「こうなったら、風邪も覚悟するしかないか」と、私は乾杯の冷えたビールを飲み干し、大きなレタスの葉で包んで辛味噌をつけた焼きたてのお肉をほおばりました。なんて熱くて美味しいこと!
 若者たちは明るく人なつっこく、Kさんは久しぶりにわが子に会ったようにうれしそう。彼らは日本語が上手なので、私たちも会話の仲間入りができます。穏やかに和やかに話は続いて行きました。Tさんも満足げです。「白いご飯も美味しいですよ、取りましょう」「本当に美味しいですね。キムチもお願いします」
もう寒さなんて感じません。ポッと一つ、小さな灯が私の胸の奥に灯ったような気がしました。そしてその灯は今も私をあたたかくしてくれています。素敵な素敵な夜でした。さて、明日はどんな一日になるのかな。


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