あぁるぴぃ千葉県支部だより62号


■投稿■

★世界大会ツアーに参加して〜北欧旅行記F

千葉市 渡辺 友資枝
 私の視野は5〜10度。中心視力は矯正で0.4ほどありますが、最近、老眼がすすん だこともあって文字も読みにくくなってきました。そんな私が昨年7月4日と5日にヘル シンキで行われた世界大会に行ってきました。というと聞こえはよいのですが・・・。そ れを口実にフィンランドの首都ヘルシンキとロシアの古都サンクトペテルブルグに観光旅 行に行ってきたというのが本当のところです。それは日本各地から集まった個性豊かなJ RPS会員の面々と過ごした楽しい8日間でした。
 今日はいよいよ旅の最終日。サンクトペテルブルグからヘルシンキを経由し日本に戻り ます。
 私たちは、サンクトペテルブルグのヘルシンキ駅から国際列車でヘルシンキに向かうた め、朝早くホテルを後にしました。「サンクトペテルブルグのヘルシンキ駅」なんてやや こしいのですが、これは日本とは全く違うロシアの鉄道のシステムによるものです。
 ロシアでは行き先によって、乗車駅が違ってくるのです。モスクワ行きの列車に乗るた めにはモスクワ駅に、ヘルシンキ行きの列車に乗るためには別の場所にあるヘルシンキ駅 に行かなければなりません。私はこの旅に出発する前に、地図でサンクトペテルブルグで 宿泊するホテルが、モスクワ駅の近くにあることを知りました。そこで、私は訳知り顔で 友人に、「サンクトペテルブルグに行くんだけど、泊まるホテルはモスクワにあるのよ」 と言いました。
 友人は何の疑問も持たなかったようで、「あら、そうなの。楽しんできてね」と涼しい 顔で答えたものです。私も私ですが、友人も友人です。国土が狭く、都市密集型で何をす るにも効率を考える日本人には、行き先別に駅を建設するなんて発想はないでしょう。こ こでもまた、私は軽いカルチャーショックを受けました。
 そして、また、島国の日本では列車で国境を越えるなんて経験はできません。私は列車 で国境を越えるとはどういうことなのか、よくわからないままに乗車しました。列車の座 席は日本のものより広くゆったりめにできているものの、特に豪華というわけでもありま せん。もっとも、私たちの乗ったのは2等車だったようですが。
 まず、ロシアを出国するので、パスポートが集められました。また、荷物と共に列車に 乗り込むと、強面の係官が荷物検査のため、トランクをあけるように要求しました。ここ で、添乗員のTさん、まだ30才になるかならないかという若いおじょうさんなのですが、 「この人たちは眼にハンディキャップ(障害)を持っているのだから、そんなことはでき ない」と強面の係官を相手に強硬に抗議しました。結局、このTさんと比較的視力の良い 堀口理事のトランクを調べるということで決着したようです。
 午前7時28分、列車は、サンクトペテルブルグを出発。
 朝食をとっていなかった私たちは、車内で硬いパンと大きな野菜やベーコン、ハムの入 ったお弁当を食べました。手の込んだ日本のお弁当が懐かしく思われました。
 車窓には、どこまでも続くような大平原が広がります。緑の美しい木々が生い茂る森林 があり、ときどきは民家を見かけることもありました。そんな美しくのどかな景色をぼん やりと眺め、心地よい列車の揺れに身をまかせているうちに、私はうとうとと眠り込んで しまいました。
 次に私が国際列車ということを実感したのは、列車が国境に近い駅に到着したときです。 列車が停車すると、大きな麻薬犬を連れた係官が列車に乗り込んで来ました。列車が動き 出すと、私はまた眠りの世界へ。近くからはにぎやかで楽しそうな話し声が聞こえていま した。
 サンクトペテルブルグを出発して5時間ほどして、列車は442qを走り、ヘルシンキ 中央駅に到着。ここで私たちはロシアの出国とフィンランドへの入国を証明するスタンプ が押されたパスポートを受け取りました。ヘルシンキでは市内のレストランで昼食をとっ ただけで、空港へ。
 そして、午後5時20分。私たちは北欧の地を離れ、日本への帰路についたのです。
 10時間余りのフライトの後、成田に到着したのは翌日の朝9時(日本時間)。成田に 着くと「ああ、これでやっと英語から解放される」と堀口理事の声。堀口理事、本当にご 苦労様でした。
 ツアーの皆さんと別れを惜しんだ後、私とY・Kさんがまず向かったのは、トイレでし た。久しぶりの日本のトイレは明るく清潔で、最先端の機能付き。手をタッチセンサーに かざすだけで、水が流れます。北欧のトイレにすっかり慣れてしまった私は、タッチセン サーになかなか気づかず、四苦八苦。やっぱり、トイレは単純なほうがいい!
 1年経った今、この旅は、私にとって忘れられないものとなり、私の人生の1つの道標 というようなものになりました。それは、初めてのヨーロッパということだけではなく、 参加された皆さんによるところが大きいと思います。皆さん、肩に力を入れず、実に自然 に障害を受け入れ、人生を前向きに明るく楽しんでいらっしゃるのです。それは見えてい たときを精一杯生き、やるべきことをやってきたためかもしれません。また、その姿勢は 見えなくなっても変わらないようです。この旅の間、見えないことの不自由さを耳にする ことはなかったように思います。皆さん、この旅を十分に楽しんでいらっしゃるようでし た。
 特に、ここに参加された3組のご夫婦には学ばせていただくことが多くありました。そ のことについて、もっと書きたかったのですが、私の拙い文章力では長文になり過ぎ、読 者を飽きさせる恐れがあったことと、プライバシーの問題を考え、書くことをあきらめま した。いつか、皆さんにお話する機会が訪れるまで、私の心の中にそっとしまっておくこ とにいたしましょう。
 これで、7回にもわたった私の拙い旅行記は終わります。最後までお読みいただき、あ りがとうございました。


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