「この病気とつき合って」
『・・・人口の約5%の人は障害者になると言われるし、その中の8%位の人が視覚障害者と言われています。
そんなことは頭の中で一応知識として知っておりましたが、その視覚障害者の中に何で自分が入らなければならないのかと言うところが、どう考えても納得出来ないのです。
どうして私が選ばれなければいけなかったのでしょう?
・・・しかし、どんなに納得ゆかない人生も、命のある限り生きてゆかなければならないのです。』
(筑紫野市 田中定子さんの手記より)
連載手記
「この病気とつき合って」の
連載を始めるに当たって
今年は福岡県支部の前身であります九州支部創設から数えて10年という節目の年に当たります。
手探りで活動を始めた創設の頃を思い出しますと隔世の感があり、感慨深いものがあります。
これも歴代の支部長や幹事の方々のお力、また支部活動にご理解・ご協力をいただいた関係者の皆様のおかげだと深く感謝しております。
半年前に支部長をお引き受けしてから、この節目の年を記念するようなものを何かできないだろうかと頭をひねっておりました。
そこで思いついたのが次のようなことでした。
私たちの団体はこの病気が縁でできたものです。
会員の皆様方お一人おひとりには、当然この病気と向き合ってきた歴史があるに違いありません。
こうしたいわば苦難の経験を一人胸のうちに収めることなく、語り継いで行くことは本人にとって心の整理をつけこれからの人生を前向きに展望していくきっかけとするという意味で意義あるものです。
また、経験したことや思いを文字として共有し、残していくことはこれから発症する
であろう人々を含めて全ての患者にとって意義深いものであります。
それぞれに置かれた環境により、その「苦難」の形や大きさは異なっているでしょう。
そうしたレポートの一つ一つが、読む者にとって安堵や共感となり、希望や励ましを感じることになるものと思います。
さらに、本誌をお読みになっていただいている医療・保健・福祉の関係者やマスコミの方々にとっては、私たちを正確に理解していただく大切な情報として今後のお仕事に生かしていただけるのではないかと思います。
そういう意味を込めて支部創設10周年記念企画連載手記「この病気とつき合って」の連載を始めることとしました。
できるだけたくさんの方々にこのコーナーへ手記をお寄せいただき、患者・関係者の共有財産にできることを願っております。
2007年1月
日本網膜色素変性症協会(略称:JRPS)
福岡県支部長 松延 太郎
「この病気とつき合って T・M生(56歳 男性 福岡市) その1」
「この病気とつき合って T・M生(56歳 男性 福岡市) その2」
「ぼっちら、ボッチラ・・・」 栗原 誠(朝倉市)
「この病気とつき合って」 渡野 八千枝(春日市)
「合格点を目指して」 田中 定子(筑紫野市)
「必要は やる気の源」 I.A雄(北九州市)
「この病気とつき合って」 山崎 勝登(福岡市東区)
「この病気とつき合って」 山田 きみ子(福岡市博多区)
「この病気とつき合って」 藤井 増太郎(嘉麻市)
「神に出会う」 宮崎 フミ(太宰府市)