あぁるぴぃ広島 29号


■会員の声■

1 私と網膜色素変性症との出会い
       福山市内海町 J.S 58歳
 私と網膜色素変性症との出会いは良く解りませんが、平成元年(39歳)でした。眼科の 先生に診断を受けたところ、先生に「あなたは手帳を持っていますか?」と聞かれました。
「船員手帳ならあります。」と答えると先生が苦笑。でなくて、『身障者手帳』とのこと。
見たことも聞いたこともありません!と言うのが最初の出会いです。
 子どもの頃のことはあまり記憶にないのですが、溝に落ちたり水溜りに入っていたよう に思います。でもあまり怪我はしなかったようです。私は、18歳の時から国内外航路の 貨物船で、調理関係をやっていました。(約15年)その後は、平成元年から中華料理店を 営業し、平成19年末、視力の限界でやむなく閉店しました。50歳を過ぎてからは、座 頭市でやっていました。今思うと、船と店の職場は明るく、なんとか仕事ができた次第で す。お客さんの顔が見えず、声が頼りの世界です。
 平成19年からほとんど見えなくなり、自分の妻や子供の顔さえ見えなくなり、寂しく、 むなしく思いました。いつも「お父さんの目が見えるうちに、結婚してくれよ!そして花 嫁姿を見せておくれ!」と、酒を飲む度に良く言っていましたが、それが現実になりまし た。娘達の花嫁姿が、見えなくなると思うと残念です。なんとかこの病気を無くして頂き たい。とくに子ども、若い人には光を与えてやって下さい。私はつくづく思っています。
 そんな時に、JRPSに入会していた知り合いから声がかかり、出かけることにしました。
その会場で10数名の皆さんと初対面しました。話をしてみるとビックリ仰天!皆さんと ても明るいじゃあないですか!声は大きいしすがすがしく感じました。それで、私も2月 からパソコンを習い始めて、今(5月)ではメールができるようになりました。JRPSにも入 会させていただきました。有難うございます!これからも、皆さんと楽しく明るい毎日を 送っていきたいと思います。本当に入会して良かったと感謝しています。今後とも宜しく お願いします。

2 広島市の講演会参加記
福山市 S.I
 昨日は広島市で講演会がありました。福山からのお誘いはしていたのですが参加表明が ないので2人でバスで行きました。バスセンターからは歩きました。何人の方のお世話に なった事でしょう。でも迷うことなく会場に着けました。速く着いたため福祉機器も見る 事が出来ました。拡大読書器も随分と便利なものがありました。
 今日の講演は柳川リハビリテーション病院眼科における資格障害者リハビリテーション の実例についての高橋先生のお話でした。
 このお話は、うそのようで本当の話し…でした。特に網膜色素変性症の方にとっては、 すごく参考になりました。皆さんは見えない見えないと言ってあきらめておられる方も少 なくはありません。しかしどこかに残されている視力(見えるところ)を使って見えるよ うになるのです。それが訓練により可能になるのです。この度のお話は、是非皆さんに聞 いていただきたかったと思います。網膜色素変性症の場合は我々の時代では見えるように はなりません。それよりは今、少しでも残された視力を使って少しでも生活を便利にして はと言うことです。
 視覚障害者にとって確かに家族の支え、理解は必要とは思いますが、きりはなすことも 必要なのです。何時までも親には頼れません 。いつかは自分ひとりになるのです。患者の皆さんが眼科に行かれたとき、リハビリテー ションが必要な事をどんどん言っていただかないといけません。医師より貴方は網膜色素 変性症です。現在は治療法がありません。時々受信して様子を見させてください。これで は何もしないのと同じです。いかにして残された視力で仕事や生活が出来るかのケアが必 要になります。是非、柳川リハビリテーションのようなところが地方に出来てほしいです ね。
 この講演会には沢山の参加者がありました。数百人おられたのかな…? 私では確認が 出来ません。(苦笑) でも、JRPSの仲間もかなりの方が来ておられました。お会い できた方も十数名おられます。福山からは私たちだけかと思っていたら、他にも来ておら れました。やはり私たちは声をかけあい、思いやりを持って行動しないといけませんね。 会場で声をかけていただいた皆さんありがとうございました。また帰りにはご一緒させて いただきましたNさん、ありがとうございました。
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