あぁるぴぃ広島 51号


■会員の声


@ 出会いに感謝  (D・J)
 今、私が元気で好きなことができているのは、たくさんの人との出会いがあったからだと感じています。自分のことを話し、聞いてもらうことで、ずいぶん楽な生き方ができるようになりました。
昔、落ち込んだ時に、出会った一冊の本があります。その中の言葉で元気をもらった詩を紹介します。
楽(らく) 「もどっておいで 私の元気」より
 楽に生きることは,手を抜くことでも、怠けることでもなく心とからだを楽にして生きることだった。
心とからだが楽になってくると、自然に肩の力が抜けてゆき自分にやさしくできるようになってゆく。
自分にやさしくなれると、不思議なことに人との関係がやわらかくなってゆく。
人との関係がやわらかくなると、自分らしさがふんわり溢れてくる。
自分らしさが溢れてくると、生きることがだんだん楽で、楽しくなってゆく。
 20代のころ、網膜色素変性症と診断され、治療法もなく進行性の難病ということを聞かされました。その当時は、症状も夕方少し見えにくいかなと思う程度で、自分のこととして考えていませんでした。のんきなものです。
何も考えず、普通に仕事をしていました。30代になり、夕方から夜にかけての活動がしんどくなり、昼間も足元の物が見えてなくて、むこうずねをぶつけることが多くなってきました。
その当時は、この病気は個人差も大きく、進行が遅い人もいるということを、ネットで読んだりしていたので、私はそのタイプだろうと勝手に思い込もうとしていました。
 少しずつ少しずつ進行してきて、将来が不安になってきたころ、ようやく、自分のこととして考えるようになってきました。
ちょうどその頃、新聞で、「網膜色素変性症」の記事が目にとまり、問い合わせをしました。
 そこから、Sさんとの出会いがあり、同世代のNさん、同じ頃に、妹が新聞記事で見つけて紹介してもらったYさんとの出会いがありました。
それまでは、身近に同じような人もおらず、誰にも相談できず、進行していったら何もできなくなるんだろうなあと、時々、ネガティブなことを考えていました。
当時よく言われていた、三無主義(無気力・無関心・無感動)の代表でした。
今思えば、もっといろんな事に、興味を持ち、いろんな物をしっかり観察しておけばよかったな〜と後悔しています。でも、その当時は考えられなかったことです。
 病名を言われ、症状も少しずつ進んでいくにつれて、マイナスなことばかり考え、気力もなくなり、関心もなくなり、そうなると、感動する心も失せて、なんとなく淡々と日々を過ごしていたように思います。
そんな時、Nさんと出会い、見えなくてもテニスができる・スキーも登山も・・・話をすることで、どんどん元気をもらいました。岩国でテニスをしていることを聞き、参加させてもらうようになりました。
そこで、アイマスクをして、空中に、浮く音の出るボールを返球されている姿を見て、すごいなあと、感激したと同時に、また私もテニスができることを知り、うれしくなったことを思い出します。
 Nさん、Yさんとの出会いは、その後、大きく交友関係が広がり、ブラインドテニスとの出会い、そして、転職を考えるきっかけにもなりました。
40代で、広島中央特別支援学校に入学し、3年間、楽しい学生生活を送りました。そこでもたくさんの出会いがあり、いろんなことを、考えさせられました。
少しずつですが、自分は何がしたいのか考えて行動するようになったと思います。自分がしたいこと、やってみたいことも多くなりました。
 今、また少しずつ見えづらくなってきて、感じて動くこと、想像することの意味が分かったような気がします。
白杖を持って、ひとりで歩いていると、声をかけてくださる方と出会います。
人の優しさ・温かさを、以前にも増して、たくさん感じられる機会も増えました。できないことが多くなる度に、不安になり、落ち込むことも多いのですが、いつも前向きなNさんやYさん、そこから広がったたくさんの同じような悩みを抱えている友人・知人と話をすることで、できなくても、工夫したり、誰かに助けてもらったらできることもある・あきらめずに、頑張れば、何とかなるということをたくさん経験させてもらいました。
人は一人では生きていけないといわれますが、本当にたくさんの人に助けてもらい、支えてもらいながら、一日一日楽しく生きています。
 今、デーサービスで、人生の先輩方のマッサージをさせてもらっています。
ありがとうと言われると、こんな私でも少しは役に立っているのかなと、うれしくなります。
年を重ねてくると、今までできていたことが、できなくなることも増えて、気分が落ち込まれる方も多いですが、少しでも楽になれるような手伝いができたらと思っています。
目を使わなくなって、他の感覚が敏感になったと感じることが増えました。
これからも、落ち込んだり不安になったりすることもあると思いますが、たくさんの出会いを楽しみに、いろんなことにチャレンジしていきたいと思っています。
A季節の食べ物楽し〜  (JRPS西日本MLから)
みなさんこんにちは、広島市のMです。
たけのこがおわりました。 今年は沢山いただきました。
もと日本料理を仕事にしていた人が、 筍が土から顔を出すところで掘るので、 あくがありません。ゆでるときにも米ぬかなど必要ありません。
話には聞いておりましたが、取り立てを食べるのは はじめてです。大満足しました。
次の楽しみは、スナックエンドウです。
昨日二度目の収穫をしました。 てさぐりで私が収穫しました。
たっぷりとれましたので、さっそく娘のところにおすそわけです。
これをつまみに飲むビールは最高です。
さて、昨年の秋、干し柿のお話をしました。
天候にめぐまれたのか、うまくできました。半分を冷蔵庫に保存、残りの半分、大きめのものを、冷凍庫で保存しました。この冷凍庫 の干し柿はかなりやわらかかったので、冷凍庫の中では、かちかち にこおっているのかとおもっていましたが、こおることなくやわら かでした。どなたかシャーベットとおっしゃっていましたが、このことをおっしゃったのかと納得です。
今朝最後のシャーベットをいただきました。
この年でまた初体験ができました。
B見えなくて得したかな? (JRPS西日本MLから)
 みなさまこんにちは、広島市のMです。(中略)
見えないことで少し得したお話をします。
(1)昨年6月、群馬県の高崎に行って来ました。
若い頃お世話になったおばさんの一回忌の法要です。
おばさんは戦争未亡人で、息子を一人育てながら、寮に住み込みで学生のお世話をしてくれました。定年後 息子の住む高崎で老後を過ごしていましたが、一昨年6月97歳で永眠されました。
私はJRのお世話で一人ででかけました。 高崎駅でタクシーに乗せていただき、ホテルへむかいました。
ホテルの玄関には数人の仲間が迎えてくれました。
お寺で法事をすませ、お墓の前で寮歌の大合唱しました。
夜は懇親会、みなよく私のお世話をしてくださり、参加してくれたことを、とても喜んでくれました。みえないことで、とても得した気分です。
(2)昨年10月家内の高校時代の友達二人がやってきました。
我が家に二泊し、道後温泉や尾道など観光し、4泊5日の旅をして帰られました。初めて四国の地を踏んだと大喜びでした。
帰宅後お礼のメールが家内に届きました。
その中に、今度の旅行で一番感動したのは、あなたのご主人です、とあったそうです。もしかしたら、暗い生活を送っていると思われていたのかもしれません。皆さんとの会話にもくわわり、いつものように食器を洗ったり洗濯をする姿をみて、びっくりしたのでしょう。
同じことをしても、見えないことで、評価が高まりちょっと得をしたかなとおもっています。

C返信: 今一番悩んでいます 最近視力が落ちてきた今何をすれば アドバイスお願い (JRPS西日本MLから)
 西日本MLの皆さん、こんにちは。福山市のFと申します。Tさんのメールに対し、たくさんの方が、いろんな返信をされていて、読んでいてその人 その人の 今まで生きてきた 生きざまが感じられて、1人で ガッテン!ガッテン!と感心してます。
 私は、63才で 今は 光が感じられるくらいです。私もここ2〜3年前から急激に見えなくなりました。だんだん人に会っても 顔が見えなくなり、「こんにちは。」と声をかけられてもだれかわからなく、初めはあいまいに返事を返していましたが、「今のは誰だったのだろう?」と いつまでも気になり それから 声をかけてくださったら「すいません。最近 目が悪くなってよくわからないの。どなたかねぇ」と たずねることにしました。
一度 そのように尋ねた人は、それからは 「こんにちは。だれだれです。」と むこうから 名前を言ってくださるようになりました。
私は、このことから、見えないことをはずかしがったり、かくしたりせず、あいてに見えないということを わかってもらうほうが、なにかと便利で、てっとりばやいと、思うようになりました。そして あれほどいやがっていた白杖も 持つようになりました。週2回ぐらい 電車で出かけるのですが、あれほど気を付けていても 誰かや物にぶつかっていたのに 白杖を持っていれば、ほとんど あいての方が、よけてくださいます。物にぶつかることもなくなりました。私も Tさんと同じ時期を通り越してきたので、お気持ちはよくわかりますが、だんだんもっと見えにくくなってくると、もっともっと不自由なことが増えてきて、今 一番の悩みも、「なあんだ たいしたことじゃなかった。」と 思えますよ。
自分が見えにくくなっているということを 早く認識し、受け入れることだと思います 
 このMLには、マラソンや登山、自分の特技や趣味などで頑張っておられる方が たくさんおられます。今まで 何とか見えていたことに感謝し、みえにくくなってくる これからの人生をどう生きるかが 大切なのではないでしょうか。
前向きに生きていきましょう! 
D 返信: 教えて下さい「障がい者とは?」(JRPS西日本MLから)
 MLの皆さん、広島市のAです。
皆さんからのメールを読ませて頂き、共感しています。私の通ってきた道であり同じような気持ちを持ちながら今日に至っています。今の視力は光覚程度です。
 私の感じとしては、まだ視力を保っているお仲間の方々や目に見えるような進行状況のさ中におられる方々の話もお聴きしたいと思っているところです。たくさんの書き込みを読みながら「障害者」という言葉はいつ頃生まれたのかな?なんてふと思ってしまいました。
 私たちの障害と言えば、まず移動や情報を上げる人が多いと思います。
でも、それは少数派である故の配慮のなさが一員となって生まれたと考えることもできませんか?
この点が改まっていけば障害の対象となる事柄は段々少なくなっていきそのうちに自然消滅してしまう日が来るかも知れないとかすかな希望を持っています。その日は障害という言葉が消える日です。
 皆さんが小学校などで講演活動をされておられます。
これが近い将来地域の人たちを壁を作らず自然に接する人たちへと変えています。現に近所の子供は依然とずいぶん違ってきているように感じています。
E 返信:遅ればせながら 「障害者」について (JRPS西日本MLから)
 西日本MLの皆様、こんにちは。福山氏のFです。
「障害者とは?」のテーマで 多くの方が、色々な意見を 寄せられています。先日 Tさんの「今一番困っていること」にも私の気持ちを書かせていただきましたが、私も 白杖を持って 出歩くようになってから、自分は障害者であるということを しっかり 自覚することにしました。
そして、出かけて 多くの人と 接する中で、「何かお手伝いしましょうか」、 電車で「ここ あいとるよ。座り。」など 声をかけてくださった方に、「ありがとうございます。」とお礼をいいます。
また 点字ブロックの上を歩いていて 立っている人にぶつかったら こちらから先に「ごめんなさい。」と言って、「できれば 点字ブロックの上には 立たないでください。」とお願いします。こちらから先にあやまれば、怒ったり 腹を立てる人は ほとんどおられません。
それから 方向や 行き先がわからないときは、「すみません。すみません」と大きな声で 周りを歩いている方に 声をかけます。そうすると大抵、どなたかが 「どうしたのですか。」と 立ち止まって声をかけてくださいます。
「ありがとうございます」「ごめんなさい。」「すみません」の三つの言葉を私の 三種の神器として、大切にしています。 
 OさんやSさんのように 学校に出かけて 障害者や 盲導犬についてお話されている方もおられますが、私にできる事は、出来るだけ出歩いて、障害者の不自由さや なまの姿を さらけ出すことによって、少しでも 障害者の理解に役立ててもらえればと 思っています。 
それが、今の私にできる、障害者になった私の役目だと思っています。



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