あぁるぴぃ広島 Vol.6


■会員の声■

1 こんにちは 私、ウエンズデー(盲導犬)です。ワン。
 三次では、お世話になりました。
 5日の晩に、だんなが私のご飯や、シーツやブラッシングの道具をリュックに入れ ていたので「明日はどこかに行くんだなあ。」と感じていました。
 6日の朝、出かける前に激しい雨が降っていたので、だんなとお母さんが「濡れる と可愛そうなので留守番をするか。」と話していました。
 でも、ウエンズデーは昨日の晩からはりきっているのに・・・。起きて直ぐにだん なの傍にずっとついていました。
 おかげ様で福山駅についた頃には雨もあがって、一緒に行かれる事になりました。 駅についたら、佐藤さんや藤井さん、根本さん、Tさんが待っていてくれました。
 そこから福塩線に乗って府中駅で乗り換えて、三次まで行きましたが、電車に乗る とすぐにカンのふたをあけて泡の出るものを皆、おいしそうに飲んでいましたよ。だ んなは、いつものように天にでも昇るようなごきげんでした。三次駅について根本さ んが手配してくださったバスに乗って三次ワイナリーについた時はだんなは嬉しそう な顔をしていました。
 だんなはワインを飲ませてやると言っていたのに私は香りだけでした。ワインは香 りを楽しむものだといいますから・・・。だんなは、これで、約束を守ったのかな あ。でも、少しぐらいは飲んでみたかったよ。
 バスで長寿村に着いて、だんながブラッシングをすぐにしてくれました。長寿村の 人がそこに来て「もういいですよ。毛が落ちても私たちが掃除をしますから・・ ・。」とだんなに言っていました。お風呂は薬草風呂や泡風呂サウナもあって、とて も気持ちが良かったそうです。誰かさんは5回も入ったようですよ。
 皆さんの宴会の前に私は、一足早く晩御飯をいただいて、べべ(服)を着て行きま した。
 そこで自己紹介を聞いていましたが86歳の元気なおばあちゃんがおられました。
 だんなは、そのおばあちゃんの刺身を分けていただいていましたがだんなも元気で おばあちゃんの年まで生きてくれるとよいのだがなぁと想いました。その時、10年 したらだんなと別れるのかと考えて少し淋しくなりました。
 Tさんのサックスの響きに感激しました。みなさん元気で明るくてよいですね。 だんなのカラオケを聞きたいのですがだんなはいつまで待っても歌いませんでした。  宴会が終わってトイレに連れて行ってくれました。その時また、ブラッシングヲし てくれました。
 もう、寝るのかと想っていたら、また飲みだして、1時ごろまで泡の出るものを飲 んでいましたよ。皆楽しそうだったなあ。私は、みなさんの話し声を子守歌にして傍 で寝ていました。午前1時ごろからだんなに寄り添って寝ていましたが2時ごろに誰 かさんがお風呂に行ったみたいです。
 5時ごろにおきてだんなにブラッシングヲしてもらってトイレをすましました。み なさんが私の相手をしてくださって楽しかったです。
 7日の講演会やお昼からの交流会もだんなの足元で聞かせていただきました。小学 生の子供さんから86歳のおばあちゃんまで皆元気でした、だんなも泡の出るものば かり飲んでいないで、しっかりしないと。「ウエンズデー煙りの出るものも飲んでい るよ。」だんなそれは、余計に駄目です。

 帰りもローカル線に揺られてゆっくりと家に帰った時には、お空で誰かさんがデー トをしていました。
 では、みなさんだんなともどもお世話になりました。
    沼隈郡沼隈町 ウエンズデー


2 JRPS広島MLから
    高田郡八千代町   Kさん
 皆さん、お元気ですか。JRPS MLの紹介ありがとうございました。毎朝六時 にスイッチをいれ、皆さんの便りを見られるのを楽しみにしています。他の人にも紹 介したいくらいです。JRPS ML以外のメールは有りませんが、広島県のホーム ページなど、見ます。見て確認するのに時間が掛かります。「名前をつけて保存」し て後で見ます。佐伯区のNさんのHPを見せてもらいました。「あぁるぴい広島第 2号」にパソコンを始めたばかりの様にありましたが、短い間に立派なHPが出来る とは驚きです。これからも頑張ってください。(ちなみに、私はキーボードと悪戦苦 闘している次第です。画面1ページ分の書き込みに2〜3時間かかります。)話は前後 して申し訳ありませんが、先日、一足先に「あぁるぴい広島第5号」をメールにて拝 見させてもらいました。創刊号から何度も繰り返し拝見しています。読むたびに新鮮 さと元気と皆さんのご苦労を感じ、私一人で落ち込んでいてはいけないと思って頑 張っています。近くには、北部交流会の人がいてくれ、JRPS MLのたよりが私 を元気にしてくれます。
 佐藤支部長、役員の皆さん、内外から援助くださる皆さん、 今後とも宜しくご指導お願いします。
 自分では何も出来ないで、無言のまま待っている人もいます。(私もその中のひと りです。)
 7月7日は皆さんお疲れ様でした。準備戴いた皆さん、ありがとうございました。 宿泊会には出席できませんでしたが、一年ぶりに皆さんに会えて新鮮な気持ちで再出 発です。ある意味では楽しみにしていた祭りが過ぎた様な・・・。また皆さん、元気 な笑顔で会える日を願っています。
 メールはナマリが出ないので気楽です。時間をかけてゆっくり出来ます。私の変な ナマリは、北部地区の皆さんには毎度の事で慣れてもらった事と思いますが、呼吸調 整の為です。気管支が狭いんです。(自分で勝手に決めています。)一人で黙って居る 時も呼吸が苦しくなる事があります。十年来そんな事ですが、死ぬ事は無いようで す。
 2,3日前からセミがなき始めました。自分で勝手に「梅雨明け宣言」しました。
 「戻り梅雨」と言う事もあるし
 皆さん、アドバイス有難う御座います。60年来の古井戸から顔を出した思いで す。もはや 私には飛び跳ねる力は無い      かも知れません。 行ける所ま で行けば、いいんです。
 先日、2年ぶりに呉の眼科に行きました。今、私は視力障害3級ですので、まだ余 裕がある思いでした。後日、診断書を見ると大きく、黒い丸い物が、二つ並んでいま した。何かと、びっくりしました。良く見ると真ん中に白い物があったんです。両眼 の損失率95%(95,96)眼底(網膜全周に色素沈着を伴う変性萎縮著明)とあ りました。
 パソコンは1時間まで、必要にお応じて朝、昼、夜の3回迄は可、(回復の時間を 考慮の事と思います。食前、食後かは???)私のパソコンは手紙が書ける事が目的 です。数十年手紙を書けなっかたんです。今、障害者にはパソコンは体の一部です。 ほかの人にも判ってもらいたいとこです。一人でも多くの人にパソコンを始めてもら いたいと思っています。
 何はともあれ、有難く診断書を頂きました。これから一段と忙しくなります。
 今まで永いあいだ良い思いをしてきたんです。昭和14年生まれだから・・・。
 子供の頃は、20,40ワットの裸電球でした。それが無数のブドウのように(1 個が数百)に見えました。乱視です。その頃から視力0.1くらいだったかも知れませ ん。メガネとの出会いは小学2,3年生です。
 この1年余りの間に、障害で不自由ながら立派に活躍している多くの人びと と出 会う事が出来、幸せです。これからも宜しくお願いします。

「忘れえぬ一言」
  視野検査の暗室の近くで。
    女の声「もっと大きくあけて・・・。」
    男の声「ハイ、くちですか。」(ここ は歯医者じゃないんです。)(笑 い。)
  では、また。


3 四国巡拝
    御調郡向島町  Sさん

 今回は三泊四日で三十番から四十五番札所と番外一ヶ寺の計十七ヶ寺の高知県から 愛媛県にかけての巡拝だ。足摺岬周辺は札所間の距離が長いので回る寺数は昨年より 少ない。四月二十日朝六時出発。このところ雨が多く、道中降られるのは覚悟の上 で、雨具の用意は皆怠りないようだ。三十五名の参加でバス一台、三月の第一陣はバ ス二台だったそうだ。
 山陽道を上って瀬戸大橋を渡り、四国に入る。今日は雨は降らないらしい。最初の 札所、善楽寺に着くと、辺り一面に何かの花の香りがしていた。添乗員に聞いてもよ く分からないようだったが、行く先々でこの花の香りがするので気になっていたが、 どうやらこれは椎の木の花らしいということになった。あまりいい香りではないが山 のあちこちにクリーム色の花の集団が見えたようだ。椎の実は子供のころよく採って 遊んでいたが,花の香りは、ついぞ嗅いだことはなかった。ツツジも今を盛りとあち こちで我々を迎えてくれた。  竹林寺は、この寺の脇坊の妙高寺の僧純信とおうまのロマンスの伝説で知られてい る。はりまや橋で坊さんがかんざしを買ったという「よさこい節」の一節だ。ここに は五重の塔があり、一つだけ願い事を叶えてくれるという「ひとこと地蔵」があっ て、皆何やら拝んでいたようだ。
 清滝寺は、バスを降りると皆タクシーに分乗して急勾配の山道を上ったところに あって薬師如来の下の厄除けの真暗な穴を手足で探りながら潜った。今日の予定はこ こまでだったが、明日が雨らしいということで、もう一ヶ寺回ることになり青龍寺 へ。ここへのアクセスは現在では橋がかかっていて便利だが,以前は船で渡るお遍路 の姿が見られて風情があったようだ。今夜の宿の車で走って百数十段の石段を登った ところで、読経を待っている間に妻が居なくなったと思ったら,少し離れたところに ミニ西国霊場の三十三体の石像があったので、それを拝んできたという。気が付かな かった人もいたのでは。
 二日目、起きると予報どおり雨。今日は足摺方面へ行くので雨が止むことを祈りつ つバスへ。だが、出発後間もなく雨は上がった。先代の頃は、悪路で埃まみれで通っ たという七子峠を越えて岩本寺、次いで延光寺へ。ここには目に効くという小さな井 戸があって私もその水で洗ってみた。帰り道、うこんの根茎を売っていたので求め た。市販のものは混ぜ物が多く純度が低いので、私は根茎を乾燥後、粉末にして飲ん でいる。竜串海岸は、波に浸食された海綿状の岩の形が面白い。ここには海中展望塔 や貝殻の展示館があるそうで、孫達に見せたら喜ぶことだろう。足摺岬近くの金剛福 寺を参拝して岬巡りに。室戸岬や潮の岬の灯台は遠くからしか望めなかったが、ここ は間近まで行くことができて満足であった。この灯台の光達距離は日本一だそうだ。 めずらしいツバキの木のトンネル、それに高さ数十メートルの断崖の下方の岩に砕け る黒潮の音は迫力満点だ。
 三日目、妻は太平洋から昇る日の出を見にいくと意気込んでいたが、天気が悪く叶 わなかった。出発後間もなく小雨となる。宿毛湾沿いに進んで宇和島へ。ここは伊勢 湾と並ぶ真珠の産地、それにあの宇和島水産高校のそばを通った。佛木寺は、茅葺き の鐘楼がめずらしい。また。釈尊がこの木の下で亡くなったという沙羅の木があった が、この木は原産地のインド辺りでは大木になるそうだが、日本では育ちがよくない そうだ。触ってみるとサルスベリのようなつるつるした木肌で、秋に白い花をつける という。
 番外の永徳寺の側に十夜ヶ橋があって、大師が横たわっている像があった。泊まる 宿がなかった大師がこの橋の下で一夜を明かした時,寒さで一夜が十夜にも感じたと ころからこう呼ばれている。以来、巡拝の途中に橋があれば,そこでは大師の心を 思って杖は突かないようになった。 今回,我々一行がどこかの橋を渡っているのを じっと見ていたひとがあって、誰一人として杖を突く人がなかったことに大そう感心 していたことを添乗員から聞いた。こういった所作が何気なくできるのは、先代から 受け継がれた伝統のようなもので,先輩方も気がつけば声をかけてくれる。神宮寺一 行の行動は、他の参拝団とはちょっと違うことは昨年も述べたが,今回図らずもこの ような話を聞くにつけ、いつ、誰が、どこで見ているかも知れないということで、道 中の行動には気をつけなければと身の引締まる思いである。だが、あまり神経質にな るのは反っておかしいのであって、ごく自然な所作の中でどこか違うなと思わせるも のがあればそれでいいのではなかろうか。大師がどういう意図で後世の人々のために 八十八もの札所を開いたのかということに思いを馳せて巡拝することにより、我々自 身も何か得るものがあり,またその行動を通して他の参拝団にも多少なりとも良い影 響があればこの上ないことだ。ここから一路、今夜の宿道後温泉へ。
 四日目、雨の中を出発したが、バスを降りると止んでいた。大宝寺には杉の大木、 尾道の西国寺のそれよりも大きなわらじ、それに鐘楼二つがめずらしい。今回最後の 札所、岩屋寺ではうっそうとした木々の参道を登るうちに雨となる。境内向って右手 に垂直にそそり立つ巨岩が、こちらに倒れてきそうで見る者を圧倒する。ここには真 暗な洞窟があって、ろうそくを持って入ったが、私にはろうそくは全く用をなさな い。この寺には又いつか来てこの迫力ある巨岩と辺りの雰囲気をゆっくり味わってみ たいものだ。帰り道、側を流れる川の中から河鹿の鳴き声が聞こえてきた。この時季 に河鹿の声を聞けるとは驚きである。どうも今年は何もかも季節を先取りしているよ うだ。
 三津浜の方を回り、しまなみ海道を通って帰ってきたが、向島は直前まで雨だった ようで道路が濡れていたようだ。いつも出かける時は、あまり土産物は買わないこと にしようと思うのだが、ついつい色々と買ってしまってリュックが重い。
 今年も、九十六歳のおばあちゃんが参加していて,その元気な姿に皆感心していた ようだ。この人の信仰心と健康維持への努力には、いつもながら驚嘆してしまう。ま た次回も元気な姿を見せてほしいと願う。


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