あぁるぴぃ広島 9号


■巻頭言■

 「JRPS(網膜色素変性症協会)との出会い」

    広島県支部 幹事(会計) 大本 仁

 尾道の大本です。
 1999年5月に京都大学眼科にて診断書「網膜色素変性症によりバイク・車の運 転をしてはいけません。」とJRPSの冊子を貰い、かなり落ち込んで帰宅しました。こ の診断書の内容では「期間が記入してない。治癒見込みの記入がない。」「病気休暇 で休めない。明日から仕事を継続できない。」年休を取りながらいろいろな人・団体 に電話相談しました。
そんな時、「タートルの会(視覚障害者の復職を考える会)」 から連絡が入り、「特定疾患に認定されているから大丈夫です。診断書をすぐに出し なさい。」いろいろないきさつがありますが、6月の中旬に診断書が受理されたと思 います。法律事務所、組合、地元議員などいろんな所に相談に行きました。
 現佐藤支部長とお会いしたのが西条で行われた全視協大会だったと記憶していま す。その時いろんな人と話している内に車・バイクの運転が出来なくても継続雇用が 可能では、ないかと考えるようになり、その考えを労働組合に申し入れしました。組 合として全国で約350人位の職員が病気怪我が原因で車・バイクに乗れない事を理 由に休職後、退職に追い込まれている事を重視し組合運動として取り組みました。
 参議院情報通信委員会において当時の八代郵政大臣が「その人が障害を持ちつつ も、私はこういう事をやりたいということを積極的に申し入れていただいて、それに また道をつけてあげるのも上司の役目だというふうに思っております。」と答弁され ました。
 2000年4月の後半だったと思います。組合・タートルの会指導のもとにバイク ・車に乗らない仕事で職場復帰出来る事を当局と交渉。数日後、「バイク車に乗らな くていいですから・・・。」と職場復帰。
 今振り返ってみると、JRPSの冊子のおかげでたくさんのすばらしい友人に出会え継 続雇用もかない、障害を自分なりに受け入れて一歩外に向けて出る大切さを痛感して います。
 今後とも視覚障害者職域拡大のため頑張っていきたいと思います。皆さん、ともに 頑張りましょう。

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