新規参加の会員の方からの声

【支部通信第40号より】  松江市 Kさん(女性)

松江市上乃木在住のkと申します。41歳です。主人と小学1年生の子と3人で暮らしています。数年前から、夏の日の眩しさに違和感を感じていました。地球温暖化で紫外線が強くなったんだな~と思っていました。そして、視界が狭くなってる事にも気付き始めました。いつも側にいる子どもの姿をフッと見失うのです。娘の名前を呼ぶと、「ここだよ!」と教えてくれてました。仕事にも支障が出ました。道具を全て片付けたハズなのに、残っているのです。何度も確認しても同じミスの繰り返し。同僚に迷惑を掛けている事に心の負担がありました。これ以上仕事への支障が出る前にと、軽い気持ちで清水眼科への受診を決めました。その最中、「網膜色素変性症です。難病指定の病気なので色々手続きをして下さいね。夏の日差しが眩しかったですね。」と言われました。今まで目に関する事柄の理由がわかり嬉しさと驚きがありました。続けて、「丁度、協会の奥美和子さんと矢野さんが盲導犬のハウル君と一緒に来られてるから、良かったらお話を聞いてみると良いですよ。」と紹介をしてもらいました。偶然の出会いには、同席していた主人も驚いていました。白杖を使用されている方、盲導犬に接するのも初めての私でしたが、何より、お二人の明るさには本当にびっくりしました。人間力の大きさを感じました。早速、奥さんと連絡交換をさせてもらい、JRPSの活動に参加しました。その中で、昨年の忘年会にも参加させて頂き、他の会員さんとも接する機会がありました。陸上の大会で優勝された方、盲学校に入学決意された方、自身で開業された方と、様々な方の人生のお話を聞く事ができました。その会には清水先生も参加されており、「病名を診断した時に、いきなり奥さんと矢野さんを紹介するのは、広瀬さんが戸惑うのではないか、と心配した。」とお話をして下さいました。先生という立場からのお話が聞けたのは、初めての経験だったので、他の会員さんを含め交流会の大切さを感じました。

先日、白杖デビューをしようと決意し、奥さんに相談し、ライトハウスライブラリーに出向きました。そこでは、相談員の庄司さんとの出会いがありました。庄司さんは少しの会話で、私が難聴でもある事を気付いて下さいました。プロの方の視線ってすごいなぁ!としみじみ感じました。視覚障がいや難聴の為、相手に不愉快な思いをさせたりと生活し辛かったのですが、それを理解して下さる方がいるのは嬉しく心強いです。困った事があれば、奥さんを始め、プロの方に相談をする大切さを感じました。もっと早くに相談していれば、今まで生活し辛かった部分を解消出来ていたかもしれません。

今、悩んでいる事は、車の運転です。車の使用を控え、バスにしようと思いますが、難病指定の人でも、バス運賃が無料になると嬉しいなぁ~と思っています。その気持ちをどこに伝えるか…政治にも関心が出たのは、病気の診断をもらってからです。私は、家族、同僚、お友達に病気の事を伝えています。今は、私の病気の事を気遣ってくれ、近所の方が事務仕事を紹介して下さいました。以前より体に負担がなく、目の痛み頭痛はいくらか減った様に感じます。病気になって、一番涙が出たのは、娘の顔が見えれなくなる…と考えた時です。同じ思いをされてる方々は沢山おられると思います。毎日を感謝しながら、家族、皆様に助けてもらいながら、自分らしく安全に生活出来ればと思います。最後に、こういった機会を私に与えて下さった眼科医の清水先生、奥さんをはじめ同じ病気の仲間のみなさん、スタッフの方々に感謝いたします。ありがとうございます。

【支部通信第38号より】  浜田市 M女性

はじめまして、27年度から参加させて頂きました浜田市の森 友美と申します。
27年度は、JRPS山陰支部設立20周年を迎えられ、私も平成7年に初めて網膜色素変性症と言う診断を受けてから20年になります。

私は高卒から地元の工場に就職して33年、それまで勤めていた自動車部品製造の仕事が不自由になり、会社を退職する事になり2年半を過ぎました。

浜田市の山間地域在住の私は自家用車は通勤や日常生活の移動手段でもあり、あまり不自由なく普通の生活を送っていました。しかし、初めて診断を受ける2年位前から徐々に眼精疲労、肩こりが起こり、1年過ぎた頃、地域活動してた私が夜の消防団年末警戒の集合に、1年前と同じ場所で同じ整列や敬礼の挨拶に昨年とは違って、横見する感覚が見辛くて整列に揃わないような事がありましたが、同年には運転免許の更新も問題なく出来て、仕事も忙しくしていましたから特に気にする事も無く過ごしていました。

しかし、その症状も月日を過ぎる毎に苦痛が増してゆき、数ヶ月後会社の健康診断では若干の視力低下があり、眼鏡矯正に行った眼鏡店で視力が上がらない等の異常で、眼科検診を勧められました。それでそのまま眼科病院に行き、検査結果で網膜色素変性症と言われ、その日から月二回の通院で眼注射、三種の薬、後に首への電気治療も加え20年目になりました。

当時は先生から病名を言われても余り理解も出来ずにいた私は、翌年に小説をテレビドラマ化した番組や同じ病気の方の取材ニュースで二回も同じ病名を聞く事になり、失明の原因でもある病気と耳にして衝撃を受けました。しかし、好きな職業で仕事も順調で忙しくしていたので、あまり深く思い込む事もなく周りにも公表せずに、仕事を続けていました。

2年位過ぎた頃には苦痛の症状も消えて、免許の更新も出来、一旦は落ち着き安心した時期もありました。しかし、10年を過ぎようとした頃から毎年のように変化して、通常の行動に支障が出るようになりました。会社内でも公表するような形で仕事内容を制限するような状況になり、仕事、日常生活、あらゆる場面の不安が出てくる毎日でした。

病気のカミングアウトしてからも毎年の変化に運転も危ない状態になり、次第に職場の仕事の不自由な状況が続き限界になったので、退職し、それから2年半過ぎました。

私はこれからの事に悩み、先ずは今まで思ってもいなかった身体障害者、障害年金の手続きの相談をしました。そしたら、短時間の身障者パソコン教室がある事も知り参加を申し込みました。ハローワークで失業給付金を受ける為障害者就職相談に15ヶ月行きましたが、視覚障害者の仕事はありません。その間も障がいは進んで運転も出来なくなり移動にも不便になって、ほとんど外出しなくなっていました。

数ヶ月過ぎてこれからの生活面の事を不安になった時、ハローワークの方から勧められた。パソコン教室で担当だった方が西部視聴覚障害者情報センターの方でした。それをきっかけにセンターへも行くようになり、白杖や拡大鏡などの補助器具等や日常生活の事も、点字やパソコンも自宅でも出来るような工夫も教えて頂いて、気持ち的に心の余裕が出来ました。同時期に保健所からロービジョンケアについての案内もあり、平成27年春に浜田市でのロービジョンケア研修会やJRPSの懇親会もある事を知り、参加しました。

そして、設立20周年記念式典にも参加して、新たな出会いもあり松江の観光もしました。退職前は毎回参加してた社内旅行や仲間との集まりも避けるように参加しなくなっていた私でしたが、同じ病気の方と出会った方々の楽しいお話や色々な思い、前向きに人生を有意義に歩む姿勢に私も楽しみを感じ、幅広い活動されてるJRPS山陰支部に入会させて頂きました。その後、隠岐難病フォーラム、中四国リーダー研修会にも参加して、一人で何もわからず何も出来なかった私も参加されていた方々から色々な事を知り、列車に乗り船に乗り、同じ境遇の方や、ボランティアの方々と一緒に観光して喜び、楽しみを感じました。中四国リーダー研修会では講演や各支部のリーダーの方々のQOL向上の為に色々な取り組みをされてる報告もあり、懇親会に参加すると、皆さん社交的で明るく色々なお話をされ、有意義に過ごしておられると感じ、自分への励みにもなりました。

又隠岐の難病フォーラムでは、膠原病の強皮症の難病の方の、難病になってからの病気とつきあう体験発表やピアノ演奏もされて、日々前向きに頑張っておられて感動的でもありました。難病の種類は違っても、最初は誰もが色々悩み不安な事はあった事も聞いたり、病気の事で仕事や日常生活で悩んでなかなか受け止められずにいた時期は誰にもあったと思います。

私も27年度春から浜田保健所である「難病サロン」「ほほえみサロン」にも参加して、他の難病の方とも出会いお話して、人との出会いの中で一つのきっかけ、色々なアドバイスや、勇気をもらい前に進んで行けると思います。しかし、普通にしてきた事が段々難しくなると、前進出来なくて一人で悩んでいる患者さんや家族の方も中にはおられるかもしれません。地元浜田地区でも何人かおられると言うお話は聞きますが、まだ一部の方しか出会がありません。同じ病気を持つ人たちが気軽に集える時間と場を作り、そう言う方にも出会い色々な思いや悩みを経験して来ている仲間とお話して行く中で、一歩ずつでもお互い未来へ進んで行けるきっかけになれば良いなと思います。皆さんどうぞ宜しくお願いします。

【支部通信第38号より】平成27年度出雲圏域眼科疾患患者・家族学習会 はじめての講演体験!  出雲市 Y男性

本日は午後の13時より出雲保健所にて眼の難病である「網膜色素変性症」患者の方々を前に少しばかり「講演」させていただきました。かくいう私もこの「網膜色素変性症」と診断されて今年でおよそ20年になります。今回はここ「子育てコラム」の場を借りて(∵)「網膜色素変性症」と診断されて20年間を振り返ってみようと思います(子供たちは最後の方でチラッと(∵)登場します)私が自分の眼の症状に明らかに異常を感じたのは1996年(平成8年)の春頃だったと思います。

当時は広島市内にある行政機関で、一般事務の仕事をしていましたけど、通勤途上などで段差につまづいたり、電柱に衝突するようなことが増えていました。さすがに不安を感じた私は、職場から程近い広島市民病院を受診、長い長い検査の末に「網膜色素変性症」の診断を受けました。この時の自分と本日私の「講演」を聞いていただいた皆さんの眼の状態が同じかどうかは分かりませんが、少なくとも自分の将来について漠然とではありましたが、不安を感じずにはいられませんでした。

今のようにパソコンやインターネットが発達していない時代でしたので、この耳慣れない「網膜色素変性症」について詳しく知る術はなく、しかも将来に向かって自分は何をすべきか?一体自分はどうなるのだ?自問自答の日々が続きました。しかし「何とか自分自身で答えを出したい」そんな気持ちにかられて、少しずつではありますが点字や音声パソコン、白杖を用いた日常動作訓練などを始めました。

しかし、仕事は平常どおりこなさなければならず、さらなる視力低下を招き、同僚たちにも迷惑をかけたりすることが増えて、人間関係にも息詰まっていました。そんな私を見かねた当時の上司に「盲学校へ行って鍼灸マッサージの勉強をしたらどうか?」と薦められ、最初はあまり乗り気ではなかったのですが「自分のための人生、迷ったら一歩前へ」との思いが強くなり、地元島根に帰り再起を期しました。

盲学校での3年間はあっという間でした。180度違う道に進んだのですから最初は戸惑いもありましたが、鍼灸マッサージの勉強を通じて新たな仲間と出会い、幸か不幸か?!妻との出会いもこの時でした(..)

盲学校を卒業後、国家資格である鍼灸マッサージの免許を取得、医療機関や治療院勤務を3年間した後に、現在のやまねマッサージ治療院を開業しました。この時点で最初に「網膜色素変性症」と診断されて10年が過ぎていましたが、当初の眼科医師の見立てどおりに、私は両眼の視力をこの頃に完全に失いました。

それから2年後に長男、さらに2年後に次男が生まれ(あぁその前に結婚もしていましたね!?)やまねマッサージ治療院もおかげ様で来年で10周年を迎えます!顔も知らない我が子たちに叱咤激励されながら(∵)皆さんの健康維持・改善のために日夜頑張っています。

今では「あの時は散々悩んだけれど、一歩前に進むことが出来て本当によかった」と思っています。たかが障害、されど障害(..)子供たちの成長とともに新たな悩みも生まれていますが、これからも皆さんのご厚情に甘えながら!?慎ましく生きて行こうと思います!

【支部通信第36号より】ちょっと いっぷく  松江市 F女性

三角スケールを片手に0.1ミリの世界で残業、徹夜の連続の会社人間ですごした青春時代。やがて画面の識別が怪しくなり、社内での移動もトントンから足さぐりになった階段の上り下り。やがてエレベーター使用となった時に37年間勤務した測量設計会社に終止符を打ちました。

それから10年経った今の日常生活は、どこまではいでも変わらぬ人参、皮と実が同じ色。黄色リンゴから赤リンゴに、イカの料理は白いマナ板から黒に。テーブルの上の物はひっくり返し、家族からの大声は再々。
また、目の具合を人に言う時は「昔はね」「十年前まではね」と調子の良かった頃の事を加える私です。
書類の名前や住所等は全て主人におまかせの私は、いち早く「私は誰?」になりかねない。そういうことにならぬよう週2回程度プールに通い、いろんな人達と話をしながら水の中を歩いています。

そしてこの度、難病の会を知り、みなさまと話せる機会があり、毎日の生活に励みが出来ました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

【支部通信第36号より】JRPS山陰支部研修会に参加して 松江市 I男性

もう、10数年前から、JRPS山陰支部があることをしらないではなかった。網膜色素変性症(RP)は進行性に視野が狭くなって盲目になる原因も有効な治療法も解らない難病だと云うことももっと前から知っていた。「何か新たな治療法が知れるわけでもないし、「上手くすると中心視野が僅かにでも残る症例になりはしないか?」と一縷の希望を託し特にその会に参加する気持ちが生じなかった。

正視者に大きく後れを取らないようにと、パソコン技術の進歩を取り込んだ。
20年も前、車の運転で後先している頃から、パソコン画面の読み上げソフトの導入、専門知識のWeb取得など、視力低下の少し先を見込んで工夫してみた。
一昨年、定年を2年ほど過ぎてやっと退職できたのだが、職場を離れると、為すことがなくなるだろう。
退職の半年ほどまえから、点字やはくじょう歩行の訓練を「島根ライトハウス」にお願いし今日までお世話になっている。
それでも活動の範囲が狭まってしまう。

幸いにも、「サピエ」やライトハウスライブラリーの音訳図書も益々充足されてきた。音訳図書のお蔭で、「松江文学学校」県立大学短大部の読書会の「椿の道」にも、十分な冊数を読んだ上で参加でき、関連の旅行会をも楽しめている。

はくじょう歩行を教わり近所の老人施設にまで行ける。トイプードルを連れていくとご老人がたが喜んでくださることもあり道すがらにすれ違う方々からのお声掛けも繁くなってくる。
家の中に閉じこもりがちにならないようにと、様々な催し物にも積極的に参加しようと、今回JRPSに参加しました。
いろいろな企画にも出席したいものです。
何しろ、お顔が判りません。声音だけが頼りです。
勿論、わたくしからも「声」を発しますので、皆様もお声掛けください。
よろしく、お願いいたします。

【支部通信第35号より】はじめまして  鳥取市 N女性

今年は、わたしにとって新たな世界が広がったとも言える年になりました。

網膜色素変性症という病気が分かってから数十年が過ぎました。
「難病」「不治の病」「治療法はない」という言葉に愕然としましたが、「受け入れるしかない、付き合っていくしかない」と思いながら、生活してきました。
しかし、あえて病気に関する情報を得ようともせず、通院することもしませんでした。あれこれ考えてもしょうがないと楽天的な性格も影響したのだと思います。とは言っても、事あるごとに病気を意識せざるをえなくなることも多く、いらだったり不安になったりすることが多くなってきました。

昨年、病状が特に進行したと感じ、受診したことをきっかけに、今年の3月に鳥取福祉保健事務所で「網膜色素変性症医療相談会」があると知り、参加する機会を得ました。
講演や体験談、諸機関等のお話を聞き、共感してうなずいたり、便利グッズに感激したりしました。
情報が一気に入ってきて、新しい世界に出会ったという感じでした。
また、その時お話された奥美和子さんが、折りたたみの白状をぱぱっと出され、「わたしはこれで、どこへでも一人で旅行に行きますよ」と言われたのが衝撃的でした。その明るさと前向きな言動にとても元気をいただきました。
今まで、「患者会」のような組織はあるだろうなとは思っていましたが、積極的に情報をキャッチしようとすることはなかったのです。
そして7月には、山陰支部総会に参加しました。二つの会に参加して強く感じたのは、同じ境遇だから分かり合え共感できることが多いということ。つながりを持つことや新しい情報を得ることは、今後の人生を前向きに生きていこうとする意欲につながるということです。また、今までのわたしのように、情報不足で悩んでいる方もいらっしゃるのではないか。情報発信や啓発活動の必要性も感じました。

JRPSの活動を知って、「あきらめ」から「可能性」へと自分の感情が変化してきました。そして、これからの日々をより楽しんでいきたい、そのために今後具体的にどう行動に移していこうか、と考えているところです。

そういうわけで、今年は新たな出会いをいただきました。
これからも、よろしくお願いします。

【支部通信第35号より】はじめまして 松江市 H男性

今年の春にJRPS山陰支部に加えて頂きました松江のHです。よろしくお願い致します。今年の1月で70歳になりました。
住まいは古江にあるイングリッシュガーデンの近くの団地です。
趣味は卓球と川柳ですので健康維持とボケ防止に少しは役立っているのではと思っています。

数年前の健康診断で視野が狭いと言われ2年ほど経過を見てもらいましたがあまり変化無い為、その後は検査を休んでいました。そしてこの春、違う眼科医院で検査を受けたところ、網膜色素変性症であり、そのうち視力がなくなると告げられビックリしました。
自分はあと何年で視力が無くなるのかが最も心配ですが、個人差があり分からないとの事なので、それは神様にゆだねて、一日一日を前向きに生きることが大事だと自分に言い聞かせています。

幸いなことにJRPS山陰支部や「あい・eye・サロン」の皆さんがとても明るいので、行事に参加しても楽しいです。
7月27日にありましたJRPS山陰支部医療講演会では、変性症とはどんなものかを詳しく知ることが出来ましたし、そのあとの交流会では、数人の患者さんから、アダプチノール(錠剤)や目薬を処方されているとの発言があり参考になりました。
発言された方のお名前と電話番号をお聞きしておかなかったのが残念です。今度又お会いする機会があればと思います。
講演会と交流会を設定していただき有難うございました。

【支部通信第33号より】徳 美徳(とく よしのり)

皆様はじめまして、松江の徳 美徳です。

松江保健所からJRPS山陰支部総会の案内が送られて来まして、事務局長の奥 美和子さんと、矢野 健さんと、庄司 健さんに、お会い出来、網膜色素変性症という病気の事を教えて頂きました。

大変勉強になりました。

平成25年6月29、30日のJRPS山陰支部総会に参加させて頂き、石見銀山見学、安部利一支部長、舛田 尚先生のお話、メガネのタナカ福祉機器の紹介、大変参考になりました。

私の座右の銘は、「相見互い」です。私の勝手な理解の上での意味は(おたがいさん、おかげさん)ですが、本当の意味がありますので、興味のある方は調べてください。

名前について不思議に思われますので、命名のいきさつを紹介します。

家の宗教が神道ということもあり、神主様に命名して頂いたそうです。上から読んでも下から読んでも徳 美徳です。

私の高校は、野球で有名な報徳学園です。

学校の教えは、二宮尊徳先生の教えで「以徳報徳」です。

私が徳を追っかけているのか、徳が来てくれているのか、徳に縁があります。

私の部活動は、高校二年生の時に、少林寺拳法部を設立しました。

目の病気が発覚した頃から、「三つの輪の融合」を少しづつ作りました。息子二人が結婚する時、娘二人が嫁ぐ時に、父からのメッセージとして送った物を紹介します。参考になれば幸いです。

どうぞ宜しくお願い致します。

合掌

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「あげる」「もらう」「できる」と書き込まれています。

図の下に「してもらう幸せ、自分でできる幸せ、してあげる幸せ。」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「感謝」「感動」「感激」と書き込まれています。

図の下に「三感は、人生の生気エネルギー」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「ハート面、ハード面、ソフト面」と書き込まれています。

図の下に「Heart 、Hard 、Softの調和」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「ナイスワン、ナンバーワン、オンリーワン」と書き込まれています。

図の下に「ナンバー1を目指しつつも、ひとりひとりの個性オンリー1が輝くとき、チャーミングなナイス1が誕生する」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「さわやか、おだやか、すこやか」と書き込まれています。

図の下に「おだやかで、すこやかで、さわやかな人になろう」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「安心」「安全」「安定」と書き込まれています。

図の下に「安心、安全、安定した毎日を生きよう」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「頭」「体」「心」と書き込まれています。

図の下に「考える頭は、賢く、かしこく行動する体は、逞しくたくましく。感じる心は、優しく、やさしく」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「空」「山」「海」と書き込まれています。

図の下に「一日一度はじっくりと山か海か空を眺めよう。

山を眺め、より高く、よりたかく。

海を見て、より深く、よりふかく。

空を見上げて、より広く、よりひろく。

じいーと見つめて、深呼吸、より大きく、よりおおきく」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「成功」「親切」「正直」と書き込まれています。

図の下に「親切、正直、成功のもと」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「ひとをうやまい」「人をうらむな」「人をうらやむな」と書き込まれています。

図の下に「人をうやまい、うらむな、うらやむな」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「勇気」「気持ち」「元気」と書き込まれています。

図の下に「気持ちの持ちようで、元気が出るし、勇気が湧いてくる」と解説があります。

三つの円の集合の図(ベン図)に、それぞれ「信頼」「普通」「信用」と書き込まれています。

図の下に「普通を十回百回行えば、信用ができる。信用を百回千回重ねれば、信頼が生まれる」と解説があります。

【支部通信第32号より】K 男性

出雲のKです。

ちなみに男です。昭和23年生まれ64歳です。網膜色素変性症の病名を3年前にもらいました。

70歳まで勤めるライフプランがあっけなく崩れ去り、自分の趣味の少なさをなげいても、後のまつり。

このころ事務局の奥美和子さんに、ライトハウスライブラリーを紹介して頂きました。

初級パソコンを四苦八苦して文書作成ビギナーにたどりつきました。

これが酒を除いた唯一の趣味となりました。時々不明な点はライトハウスの庄司先生にSOSの電話をしています。

次にデイジー図書にお世話になっています。本人も驚く程の読書量です。

通常は藤原さんお任せですが、たまに時代物をリクエストして江戸時代にタイムスリップ。

又、頭を現在進行形にする為、新聞の社説、及びPHPをお願いしています。

要するに私の生活の60%以上を頼っています。とても感謝しております。

日々の楽しみは、NHKラジオのなぞかけ問答。

土曜日のぼやせんをパソコンに入力し、いつか投稿するべく、学習しています。最近聞いた愉快な川柳を一句

「今日も又、規則正しく酒を飲む」2月4日は立春です。

iPS細胞の科学技術の春を待ちわびる一人です。

世の中に何か恩返しが出来ないかと、孫の成長を間近に見ながら、毎日晩酌しながら思っています。

どうぞよろしくお付き合いをお願い致します。

【支部通信第30号より】K 男性

はじめまして。このたびお仲間に入らせていただきました。

松江市のKです。

年齢は現在32歳です。私は、2011年11月にJRPSのホームページで本部会員へ入会させていただきました。

翌月12月に安部支部長より、山陰支部入会についてお声かけいただき、入会させていただきました。現在仕事は、義父の営む会社へ勤務しております。

この他に、ファイナンシャルプランナーとしてお金や保険に関する相談、新聞などへの執筆、心理カウンセラーとしていろいろな相談にのらせていただいております。

仕事上では本名の「和博」を「円公」という字体で活動しています。

2011年12月、東京国際フォーラムで開催された第7回JRPS網脈絡膜変性フォーラムへ参加してきました。

フォーラムへ参加するまでは、同じ病気を抱える方々にお会いしたことがありませんでした。

フォーラムへ参加したくさんのお話をいただき、気持ちが楽になりました。

また山陰支部で活動される方々から、たくさんのご教授をいただき「自分は一人じゃない」と思えるようになりました。

私には、今年で5歳と3歳になる娘がいます。

子供の成長と病気の進行、どちらが早いかな・・・

あと何年、この目で見ることができるかな・・・と思ったりします。

子供のことや生活のことを考えると、不安がたくさんあります。

同じ病気を抱える皆様に、いろいろとご教授いただければ嬉しいです。

これからよろしくお願いいたします。

【支部通信第29号より】Y 男性

はじめまして。今年の春からお仲間にはいりました松江市のYといいます。

私は盲導犬ハウルと一緒に6月の山陰支部のスポーツアンド総会に参加させて頂きました。

なにせ初めてのことばかりでしたので、不安ばかりが先に立って少しの期待しか持っていませんでした。

まず電車に乗るところから始まり、ハウルと御泊りも初めての経験でした。総会を企画された役員の皆さまをはじめ、ボランティアの皆さまに大変にお世話になりました。

小伊津の民宿で海の幸満載の料理に満足しました。

食べきれなくて残したのが残念でした。小学生の臨海学校みたいで、こんな経験は久しぶりでした。

それにお土産にもらったのも良かったです。沢山の会員の皆様とお知り合いになれた事は、私にとって大変に有意義な1泊2日でした。

今回参加の皆さまの他にも多くの方がおられるようですが、これを皮切りに多くのイベントに参加させて頂こうと思っております。

私はこの病気がここ2~3年くらいで急に進みましたので、色々なことを皆さんはどうやって解決されてきたのかとかお話をうかがいたいと思っています。

いろんな制度とか生活便利グッズとかも含めてです。

今後共宜しくお願いします。

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