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「山の向こうに・・・」

兵庫県 今川裕子


 アイヤ会のみなさま、こんにちは。私は現在、全ろう、視力は左右各々0.02(1mぐらい離れて手話が読みとれるくらい)立派な1級の障害手帳を所持しています。色変であることが判明したのは三十路にはいって間もない頃でした・・・聴力の異常に気づいたのは小学校の6年生の頃です。その頃はごく軽度の難聴でしたが、高校入学時より補聴器を使用し始めました。人生で一番楽しいはずの青春時代、私はいじけ虫になりきっていました。この頃の思い出はイヤなことばっかり・・・時々登校拒否をおこしていたのです。当時の私は障害を隠すことに必死でした!

 大学2年生、20歳のある朝、目が覚めたら無音の世界に変わっていました・・・覚悟はしていたつもりでしたが、いざ、本当に全く聞こえなくなってしまうなんて・・・だれより一番つらかったのは、母だったと思います。ハリ治療など、いつも母は私のために奔走してくれていました。だから本当は大声で叫びたかったけれど、私はこのときも母につらさを訴えることができませんでした。母を含めていつも私の周囲には力になってくれる人がいてくれたので私はいままでつぶれることなく生きてこれた・・・そう思います。

 大学4年のとき、教授に勧められて手話を学びました。初めて手話サークルに足を踏み入れたとき、私は本当に驚きました! ここには私と同じ障害を持ちながら、なんと明るく元気で、そしてすごくおしゃべりな人たちがいたのです! 私は「自分もこの中に入りたい!!入れて欲しい!!」心の底からそう思いました。この時に手話を習得したことはその後の私の世界を広げてくれたのです。

 同じ障害をもつ同志ともいえる友達もでき、私もようやく自分の障害を受け入れることができるようになりました。そんな頃・・・今度は視力に異常が見つかりました。先生から病名を聞き、治療方法もなく徐々に見えなくなる・・・という説明を聞いても不思議なことに私は全くショックを感じませんでした。大丈夫!耳のときと同じ。今度だって同じ障害をもったひとがどこかに必ずいる!!そして、助けてくれるひともいる、そう確信できたからです。あの時手話を学んだことが現在の私のコミュニケーションを可能にしてくれています。そして・・・いま、点字と出会いました。もっと視力が低下していっても点字が私を助けてくれるに違いありません! これから私の人生に何が起きるでしょうか?! 例えどんなことが起きたとしても私は周りの人を巻き込み、迷惑をかけながら、それでも山の向こうへ歩き続けるでしょう・・・


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