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国際花火大会を訪れて

アノニムライター


 炎暑のみぎりの日曜日に支部のAさんの呼びかけで男はバーベキュー大会に参加した。食材はAさんの庭(畑)で取れる旬の野菜を中心に肉とアルコールともども適度?に舌鼓を打ち、ごちそうになった。(焼いたとうもろこしはうまかったそうだ。)

 さて、お開きとなり、男は時刻を確認すると予定通り国際花火大会を撮影しに行くことにした。方向が同じなのでTさんと一緒に途中まで帰ることになった。Tさんは支部では美人の誉れ高い女性であった。(美人と言っても若い女性が参加するのがTさんしかいないので必然的に評判になるだけの話なんだけど・・・Tさんが読まないことを祈りつつこのまま書き続ける)

 電車の中で男とTさんの一言二言の会話が続いた。男は会話がヘタで途切れ途切れだった。Tさんが今日はみなとみらいで花火大会があると言う。男は恐ろしく感性が鈍く、相手の話に歩調を合わせることをまったく知らない不器用な男であった。それは国際花火大会のことで場所も、みなとみらいではなく山下公園のほうでは?とあたかもTさんが勘違いしているがごとく喋る。男が山下公園のほうの国際花火大会に行くとわかると「ひとりで大丈夫ですか?」とせっかく声を掛けてくれているのに、一抹の不安がよぎりつつも「大丈夫です。」と胸を張って答えるばかな男であった。そういうときはうそでも自信なさそうに言うものだ。稿では伝えにくいのだが要するに話が弾まない、続かない、面白くない男なのであった。“男は黙って”なんてのは当節、はやらないのである。

 乗り換えの駅に着くとTさんの「じゃあここで。あー、切符を買っておいて良かった。」と言う言葉が妙に刺々しい。おまけに降りると別れのあいさつもそこそこにすぐいなくなってしまった。男はそのとき思った。“しまった。タクシー代をケチったのがまずかったか?“男はいつも金がないのかどちらかというと、自分から進んで払うことをしないタイプだった。「出せ」と言われるまで払わない。男はかなり酔っ払っていて覚えていなかったが、その後、確認すると帰りのタクシーに同乗していたもうひとりのHのお父さんが払ってくれたらしい。

 Tさんと別れた男は先ほどの自信とはうらはらに白状を突きながら危ない足取りで転落しないことだけを考えながら、地下鉄に乗り継いだ。元町・中華街駅に着くと、花火が見えるであろう山下公園に向かった。実のところ、国際花火を見物に行くのは大人になってから初めてであったらしい。地元のくせにだ。

 なんだか前置きが長くなってしまった。肝心の花火のことを書く前に投稿文としてはこれで十分な感じもする。あまりにも長いと読むほうも疲れるだろうし、なるべく簡素に書くことにする。

 さて、どうにか目的地にたどり着いた男は海の近くが良いだろうとその方向へ行く予定であったが、入り口付近であきらめた。まだ暗くなっていないのに場所取りしている見物客でごった返していたからである。仕方なしに山下ふ頭寄りの公園端でありながら高い場所へと移動した。しかし、結果的にこれが失敗した。いざ花火が始まると、森などがじゃまとなり、また花火も思いのほか低すぎた。その場所からの撮影はあきらめ、公園外に出ることにしたのだが、暗くなったことを想定し、入念に調べた帰り道もあまりの人込みにほとんど動けなかった。男はやむなく助けを求めた。声を掛けられた青年は快く誘導してくれた。道は段差と階段が多く、所要時間も要したことを考えると己の無謀さに恥じるしかなかったのである。

 車道沿いの歩道に出ると青年にお礼を繰り返した男だったが、ふと補聴器から聞こえてくるガードマンらしきスピーカーからの声で公園は入場できない状況であることを知った。理想的な場所からの撮影はあきらめ、山下公園近くの車道から撮影することにし、かなりの枚数を撮ったが、ほうほうの体で帰ることにした。

 帰る途中、良いアングルが幾つかあったが、デジカメの枚数が切れていたそうだ。バスに乗り込もうとしたが、この混雑では規制されて走っていないか、人込みでほとんど動かない。とにかく駅まで歩いて帰るしかなかった。そうして人込みの流れる方向へ通行人に道順を尋ねながら歩いていくと見覚えのある中華街の門の前を通ったが、ここも人の流れがすごかった。結局、試合中の横浜球場の前を通り過ぎ、関内にたどり着いたときは三時間近くも歩いていた。駅近くでは危ないとみた通行人が男を誘導してくれた。駅ではロープが張られており、入場制限が敷かれていた。駅での入場制限など初めての遭遇だったのでビックリしたそうだ。乗車するとクーラーがかなり効いていたが、乗客の多くがうちわをパタパタさせていた。いや、うちわではなく振っていたのはハンカチだったかも知れない。とにかく、この日は尋常な暑さではなかった。今年は記録的な猛暑で間違いないと思ったが、梅雨明けがはっきりしなかったのはこの頃だった。帰路に着いたときは全身汗のずぶぬれ状態で夜の十時を軽く回っていた。

 何日かしてデジカメ画像をパソコンに取り込んでみると良く撮れている写真がたった一枚しかないのにあぜんとした。男はその一枚を含め、何枚か編集者のS氏に送った。男が言うには、掲載されようがされまいが勝手に送っているそうだ。(こちらの会報へは送っていないのですが・・・)男は知っていた。編集というものはたった一枚の写真(表紙用)に悩めることがあることを。ときには一枚の写真のために出かけ、一日を費やされてしまうことがあるそうだ。句の風物詩より、人が写っているかイベント関係の写真が一番良いのだろうが、いつも都合の良い写真はない。そういう時のために、候補になる写真はあるに越したことはないと言うのが独り善がりの持論らしい。

 男の反省・・・。出かけるときはもっとよく調べて、惰性にまかせて行動しないことを痛感させられた。例えば、かつて知ったる場所へ出かけるのは良いとしても夜、不用意に階段のあるところへ上ったこと。多分戻れるだろうではなくて、状況が違うのだからやはり避けるべきだったのだ。帰るときも元町・中華街駅へ戻れば何時間も歩かないで済んだのだ。一瞬の隙(すき)が余計な時間と体力の消耗と危険を呼び、人に迷惑を掛ける。(お前だけだと言う声も・・・)

(2004年8月22日 記)


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