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●「亡き父とテッセン〜亡き父への旅」

櫻井洋子&盲導犬アンソニー


今年もテッセンがたくさん蕾をつけ見事に咲いてくれました〜、よかったぁ!
私は花が大好きです。視力が薄れゆく頃「今見えているうちに」と、四季折々に彩る花をあちこち出かけていっては、その花の姿や色をしっかりと目に焼き付けようとしていました。
そんなことを何の気無しに父に話したところ、その次の日から父は家にやってきては実にたくさんの花を植えだしたのです。
このテッセン(クレマチス)から始まり、雪柳ツツジ、コスモス、金木犀、ツバキ、百合、スミレ、朝顔夕顔、桜草などなど。我が家の小さな小さな庭にはシーズンがくると、毎年芽を出し蕾をつけ、一年中花が絶えることなく咲き誇り、いつだって私の目を楽しませてくれました。
春、このテッセンが咲くと亡き父のことを想います。「ヨーコの目がやがて本当に見えなくなってしまったら、大好きな花を見に行くのはさぞ大変だろう。そんなときのために花を植えておこう」そう言ったそうです。そのことを知ったのは、父が亡くなったあとのことでした。そんな父がいなくなって3年がたちました。今はこのテッセンと百合の花しか残っていません。父が亡くなったと同時に、主を失ったかのように木や花は少しずつ枯れていってしまったのです。
父は突然病に倒れ、病名と余命を宣告されました。そのことを痩せ細った身体でしっかり受け止め、最期のときまで悔いのない人生を生きる父を、また私もしっかりと全身で見つめました。
早春の陽差しの中、病室でむくんだ父の足をマッサージすると「あぁ、ありがたいなぁ、気持ちいいもんだなぁ」と呟き、よく花のこと、肥料や水やりのことを話してくれました。父と過ごす穏やかな時間でした。父の容態が悪化しその最期を、担当医の許可を頂いてずっとそばにその父の身体に添い、一方の手で脈をとり、もう一方の手で息に触れ、心臓に耳をあて、薄れゆく父の意識、最期の脈拍、最期の心音、そして最期の一呼吸をこの手で看取ることができました。肺がゆっくりと萎んでゆくのがよくわかりました。それは細くて長い長いため息のような最期の呼気でした。
私はまだ温かい父の身体をさすりながら「お父さん、本当にお疲れさま!よく頑張ったね!大丈夫だからね、怖くないからね。またいつかどこかで会おうね。それまでゆっくり休んでね、ありがとうございました」とずっと話しかけていました。
いつの間にか先生も看護師さんも泣いておられ、最後まで頑張った父に言葉をかけてくださいました。不思議と涙がでてこなかったのは、しっかりとこの手でこの腕で父の命を抱きしめ看取ることができたことと、父のことを明るく元気に見送りたかったから。
これもあとから聞いたことですが、父は最後まで私の障害のことを心配していたそうです。
そんな素振りも全く見せない父。ありがたくてありがたくて、そこで初めて親を失うというのは悲しみが深いものだと思い知らされました。
父は盲導犬がやってくることをとても喜び楽しみにしていました。そして一緒にどこか旅に行こうと。
父の亡きあと3ヶ月後に盲導犬アンソニーが我が家に新しい家族としてやってきました。
父と盲導犬と旅に出ることは叶いませんでしたが、アンソニーと一緒に父に会いに行きました。その墓前でアンソニーを紹介し「ほら、お父さん!いいコでしょう!間に合わなかったけれどとってもいいコよ。いつまでも応援してね!」と報告しました。
私の傍らに寄り添うアンソニーの足下に、ひっそり百合の花が咲いていました。
アンソニーと出逢って3年、彼のお蔭でまた色々なところへ旅に出られるようになりました。海の向こうにも出かけていきました。
でも生前父と旅した道はまだ歩いていません。
「そろそろ訪ねてみよう」今年のテッセンに触れながら父との旅に想いを馳せています。


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