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●「シンプルな心情」

櫻井洋子&盲導犬アンソニー


初雪の朝、玄関前でアンソニーにハーネスをつけようとしていたら「二人してすってんころりんしなさんなよ」といきなり笑いかけてきた人がいる。笑顔が花のように開くカンナさんの声だ。
二つ前の冬、郵便を取りに雪の庭に出て、見事にすべって利き手を骨折してえらい目にあったわと早口で言い放つ。一人暮らしのカンナさんはヘルパーさんが頼り。その日もご一緒されていた。
カンナさんは私の父と、旨い食べ物や盆栽のことで世間話に花を咲かせたマグロ大好きおばちゃん。カンナさんは私の障害のことや花好きのことをよく知っていて、いろいろな草花を手折ってきては我が家に持ちこんだ。ローズマリーとかタイムとかカモミールとかラベンダーなどなど。職人かたぎのサムライのような父には、まったく不似合いなハーブの苗ばかりを、スーパーの袋いっぱい詰めこんで、よっこらよっこらカートを押して持ってきた。それらの苗を父はネコの額にも満たない小さな庭に丁寧に植えてくれた。なので我が家の食卓にはときどきハーブ料理がのぼる。私と違いクセのある食べ物がニガテな夫はよく苦笑いしながら食べてくれた。
そんなカンナさんの影響で、ハーブなるモノに出会った父は、どこで知ったのか眼にいいんだと、ブルーベリーの苗を植えだした。でもあきらかにそれはラズベリー。あっという間に毎年ツルを広げ、白い小さな花をたくさん咲かせ、夏になると東南の垣根いっぱいに実をつけた。赤褐色のその実は路往く人を誘うように垂れ下がり、小鳥がついばんだり、通りがかりの奥さんがもいでいったり、子供たちがママゴトに使ったり。
母は毎年季節限定のジャムだと隣家に配ったりした。私は母の得意とする手造りジャムがとても大好きだ。特にその種取りに苦労するラズベリーのジャムは本当においしかった。濃厚でしっとりしていてほどよく酸っばくて甘い。よくヨーグルトや胚芽パンと一緒に食べた。今はもう味わうことのない幻の味だけど、いまでも懐かしく思い出せる。
「すっかりハーブなくなっちゃったね」私が手におえないことを知っているから、カンナさんはもう遠慮して草花を持ち込まない。だけど父が植えたテッセンの咲くころになると必ず愛でにやってくる。「今年もいっぱい咲いたね、このテッセンタワー」我が家の白一色のテッセンはもうツルの行き場がなく真っ直ぐ上へ上へと延び続けている。
北海道にいる息子さんがカンナさんに一緒に暮らそうと口すっばく言ってくる。カンナさんは住み慣れたこの街や馴染み深い人たちから離れたくないと、息子さんの待つ北国へは行かない。それよりも雪がいやなんだそうだ。
魚介の豊富な伊豆の漁師町に生まれ育ったカンナさんは、ご主人の転勤でこの地に移り住んで半世紀。本当の名前は「カ○○さん」なんだけど私は勝手に「カンナさん」と呼んでいる。花が好きだしカンナの花のように明るくて強くて心根の熱い人だから。
小学校低学年のとき、初夏の陽射しを浴びながら初めて描いた写生は、中庭に咲き誇る朱色のカンナ。情熱的なあの朱の花は夏の空色に映えてとても艶やかだった。木造校舎の薄暗い渡り廊下から中庭を眺めると、まっすぐにそれは私の目を惹いた。上履きのままそばへ駆け寄り、ちょうど目の高さにあるくっきりした鮮やかな朱の強さにいつまでも見惚れた。
昨年の夏の終わりにも「ほれ、ほんもの」とカゴいっぱいに入ったブルーベリーの実を差し出してくれたカンナさん。父がブルーベリーと思いこんだラズベリーのことは、まったく口だしせず歌うように笑って話を合わせていた。本当はアドバイスもしたかったろうに、ただただ力なく痩せ細ってゆく父の姿に何かを感じていたのかもしれない。
二人の会話はいつも同じことの繰り返しでシンプルなものだった。寿司職人と園芸おばちゃんのそれぞれの得意分野を持ち寄って、もっぱらマグロと草花のことだけのシンプルな会話。父がいなくなったとき「マグロおいしかったよね」伊豆生まれの舌の肥えたカンナさんにそう誉められてさぞ父は満足だったに違いない。
この雪の中わざわざ手袋をはずして「せいがでるねアンちゃん」と楽しそうにアンソニーをポンポン撫でてくれる。以前カンナさんの家にも小さなマメ柴がいた。カンナさんは大の動物好きでもある。
父もまた動物や生き物が大好きだった。スズメやコウモリが朝もやの路地に落ちていたり、フナやコイがケガしてたり、カメの甲羅に落書きがされてたりすると、放っておけず保護しては治してあげたり、ダメなときは埋めてあげたりしていた。その都度母にはヒドく咎められはしたけど、おかげで私はたくさんの小さくて大きい命を知った。メダカやカエルやカマキリの産卵そして誕生に息をひそめながら見つめ命の神秘を思った。カイコやアゲハチョウ、セミたちの脱皮の美しさには心を踊らせた。縁の下や物置で青大将やヤマカガシの抜け殻を見つけるたび歓喜の声をあげた。そして可愛がっていた飼いイヌやネコたちとの突然の別れに、打ちひしがれ身をよじっていつまでも泣き続けた。
厳しかったけど父親っコだった私は、アンソニーをひと目でも会わせたかったのは本当の気持ち。それだけが心残り。
あのときカメの甲羅に黄色のペンキを塗ったのは私。裏庭の池に夜店ですくった寄生虫まみれの金魚を放ち、すべての錦鯉を瀕死の皮膚病に追いやったのは私。これまた夜店で買ってきたヒヨコやハツカネズミをちょっとした不注意で飼いネコみぃの餌食にしてしまったのも全部私なのだ。カメの甲羅はあまりにも地味だからちょいと見栄えをよくしたかった。錦鯉と金魚が結婚すればもっと綺麗な魚が生まれるはずと信じた。ヒヨコは大きくして目覚ましの代わりにするつもりだった。ハツカネズミはその顔にミッキーマウスを描いてみたかった。あとで父にはこっぴどく叱られたけど、命の不思議をたくさん教えてもらった。
そんな父がいなくなり母がうつを抱えてから、いつの間にか身内でも家族間でも父のことを敢えて話さなくなった。私はそれが少し淋しい。でもカンナさんは違う。私のその心情を見透かしたように父のことをいつも忘れないでいてくれる。
「よくこうしてさ、雪が降るとさ、アンタがすべったら大変だからさ、家の周りじゅう雪かいてたっけねぇ」私は嬉しくて素直な気持ちで、そのほうへと父の面影を探す。女々しいとか哀しいとかそんなセンチメンタルな心情ではなく、いたってごくシンプルな心情で父のことを想っていたいのだ。
「はいな、気をつけて行ってきなさいな」私はカンナさんに手をふりながら、もう今年のテッセンを楽しみにしている。
寒い分だけ春が待ち遠しくもあり、またカンナさんに父のテッセンを愛でてもらいたい。


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