あぁるぴぃ千葉県支部だより18号


 以下の二つの記事は6月9日の千葉県支部総会の際に行なわれた医学講演会の内容をテープ起こししたうえで、両先生に添削していただいたものです。

■網膜色素変性症の未来治療(2002年6月9日現在)■

千葉大学医学部眼科 忍足 俊幸
 タイトルに日付をつけた理由は講演を聴いていただいたあとで実感できると思います。
 いきなり治療の話をはじめても最先端の話ですから理解するのは難しいだろうと思いますので、ある程度の予備知識を先に説明します。まず、病気の定義と治療の現状、現在の治療でどういうことが行なわれているか。次に病気の初発部位である視細胞と色素上皮細胞、この二つの網膜の細胞の機能について。最後は細胞死、細胞の自殺といわれるものについて。この三つについてお話します。
 網膜の視細胞と色素上皮細胞が原発的に広範におかされる遺伝性の症候群、これが網膜色素変性症の定義です。さまざまな原因で起こる病気の総称が網膜色素変性症です。
 実際にすべての遺伝形式が存在します。常染色体劣性が50%、続いて散発例、常染色体優性、X染色体性と全部の遺伝形式があります。
 原因遺伝子もさまざまわかっています。26個の原因遺伝子と14個の候補遺伝子、全部で40個の遺伝子が同定されています。優性遺伝でしたらロドプシン、劣性遺伝でしたらサイクリックGMPのフォスフォジエステラーゼ、X染色体でしたらRPGRなどです。原因遺伝子を眺めているだけで見えてくることがあります。
 原因遺伝子の大部分は視細胞と色素上皮細胞、この二つの細胞に特異的に発現する遺伝子です。つまり病変の初発部位が視細胞と色素上皮細胞にあります。この原因遺伝子のほとんどが、光伝達とか視サイクルにかかわる蛋白をコードしています。つまり視細胞の機能異常が変性の引き金になっています。この二つは原因遺伝子を眺めているだけでわかることです。
 光伝達や視サイクルとは何か。光がロドプシンという蛋白に当たると、ロドプシンが構造変化を起こし、これが近くにある二種類の蛋白の分解を誘発し、さらにサイクリックGMP(C−GMP)が加水分解されて濃度が低下します。C−GMPは細胞膜の表面にあるナトリウムチャンネルを開いたままの状態に保ちます。光が当たるとこれがなくなるからナトリウムチャンネルが閉じます。光が当たる前は視細胞は興奮していて、光が当たるとこれを突然に止めることになります。これを過分極といいます。網膜電図という検査を皆さんも受けていると思いますが、強い光を当てると正常な人では下向きに大きな急峻な波が記録されます。このように光刺激を電気刺激に変えることを光伝達といいます。つまり視細胞の感覚細胞としての仕事そのものです。この仕事に関わる蛋白のどれかに異常が起こると網膜色素変性症の原因になります。網膜色素変性症の原因は視細胞が仕事ができなくなる、要するにリストラされることです。これがキーワードになります。あとで治療戦略に関わってきます。この仕事に関わるものは他にもあります。ロドプシンの構成物質であるビタミンAの誘導体、レチナール、これは代謝されなければいけません。視細胞はこれを作れませんから、色素上皮細胞から供給されます。この代謝に関わるものを視サイクルといいます。ここに関わる蛋白も全部原因になり、異常が起こると網膜色素変性の原因になります。直接にしろ、間接にしろ、光伝達という仕事に関わる蛋白はすべて原因になります。リストラされることが変性の原因です。< ということはリストラされなければ良い、仕事を与えれば良いのです。神経細胞に電気刺激を与えるだけでも生存維持できるという報告がたくさんあります。仕事を与えるだけでも十分ということです。こういう考え方を治療戦略の基礎にしてもおかしくないし、またそういうサイエンスの根拠が治療戦略にあるかどうかで将来性が決まってきます。
 次は神経細胞死、アポトーシスですが、これは細胞の自殺のことです。仕事を取られてリストラされた視細胞はどうしてよいかわからなくなって、最後には自殺するのです。そういうアポトーシスと呼ばれるものが、網膜の変性疾患の病態の最終像に関わっているということがわかってきました。
 アポトーシスとは何か。RCSラットという網膜色素変性症のモデルラットがいます。網膜色素変性症と同じような視細胞の変性を起こすラットが自然界にいるのです。生後25日から35日の、人でいうと5から10歳くらいの、RCSラットの網膜からDNAを抽出して電気泳動で流すと、DNAが断片化していることがわかります。網膜の中のDNAが切断されているのです。しかも良く見ると、ある一定の長さの整数倍の断片しかありません。染色体が非常に規則正しく切断されています。
 何故このようなことが起こるか。何か機能異常が細胞に起こった場合、それはストレスとして蓄積します。虚血とか損傷とか外部からダメージを加えても同じことが起こります。機能異常が起こって仕事を取られる、リストラされると、ストレスが貯まります。リストラされただけで細胞が死ぬとは限りません。細胞によって違うのです。ある細胞はストレスに耐えられなくなる。そうすると自殺しようとします。細胞の中にある道具を使って自殺しようとします。どういう死に方をするか。例え話をすると、飛び降り自殺しようとする。飛び降りるビル(ミトコンドリアや小胞体)を探します。ビルの階段を上がっていって、柵を乗り越えて、飛び降ります。すると実行因子が活性化されて、実行因子のひとつが核の中に入っていって、DNAを切断していくわけです。非常に規則正しくある特定の場所でしか切断しません。これが起こってしまうと飛び降りたあとです。飛び降りたあとは、この細胞は小さく縮小していって、小さな無数の小胞にちぎれて、最後は周りの細胞に食べられて消失します。このときに炎症は起きません。非常に静かに死んでいくのです。細胞がエネルギーを使いながら、進んで自殺していく、これをアポトーシスといっています。これが病態の最終像に関わっています。自殺ですから、このプロセスの間にこのプログラムを止めようとすれば止められます。途中で「死ぬのをやめろ」ということができます。途中でこのプログラムの進行を止めて、細胞が変性する瀬戸際で救済するという治療戦略が出てくるわけです。これは原因に関係ありません。網膜色素変性症に限らず、アルツハイマーでも、パーキンソンでも、脳梗塞でも同じです。この場合、治療戦略の考え方は全部同じなのです。
 既存の治療戦略にはどういうものがあるか。今まで報告されたものをいくつか紹介しますと、まずビタミンAを長期大量投与して効果が上がったという報告があります。ただビタミンA自体は、長期とか大量投与すると、副作用が結構強烈に出ますから、一般的な治療戦略としては固定していません。しかし、サイエンスとして効果があるとされた唯一の報告です。良く使われるアダプチノールは、長期予後の比較が困難という理由もありますが、効果不明でサイエンスとしての根拠がありません。ミトコンドリア系酵素の基質であるアバン、イデベノンという薬剤ですが、これは一過性に視野を改善するという報告があります。ただ、これも長期効果に関しては不明のままです。視力とか視野というのは網膜色素変性症の患者の場合、短期に変動がありますから、その変動をとらえただけかもしれません。合併症で黄斑浮腫というのがありますが、ダイヤモックスは黄斑浮腫を軽減する効果があります。変性を抑制するとかブロックするような治療ではありません。最後に胎児の網膜移植を上げてあります。これは何十例かの網膜色素変性の患者に試行されて、その中に一過性に視力が改善したという人も何例かいます。ただ長期効果は出ていません。何故これを既存の治療戦略に入れてあるかというと、次のような問題があるからです。まず長期効果が出ない。胎児の網膜ということで供給源に問題があり、倫理的な問題もあります。移植するのだったらもっといいものがある、ということで将来性はないとみなし、既存の治療戦略に入れ、未来治療の項目には入れませんでした。
 治療研究のためのモデル動物がいます。ヒトと同じ遺伝子異常を持つモデル動物です。マウスとかラットでも、ベータPDE遺伝子異常とか、ペリフェリン遺伝子異常とか、ヒトと共通の遺伝子に異常を持つモデル動物がいます。こういう動物が使われて研究がされ、データが蓄積してきて、かなりのことがわかってきました。
 未来治療の概要です。極端に言えばこのスライドだけがポイントです。あとは各論になりますから難しいです。ここだけ理解していただければ結構です。大きく二つに分けられます。まず初期に診断して変性を未然に防ぐ方法です。これはさらに二つに分けられます。ひとつは原因を除去する。つまり仕事を与える、機能を救済して変性を未然に防ぐ、変性すら起こさせない、これが遺伝子導入になります。ただし、遺伝子導入の場合は、原因遺伝子がわかっていないとできません。だから誰にもできる治療ではありません。
 誰にもできる治療はないのかということで、検討されているのが神経保護という方法です。これは先ほどいった細胞が自殺するプログラムの進行をブロックして、細胞を死なせない方法です。点眼、内服、眼内注射、遺伝子導入、移植手術とやり方はたくさんありますが、狙っていることは同じです。要は細胞を瀬戸際で救済する戦略です。これは原因に関係がありません。誰でも対象になる方法です。ただし、なるべく細胞が残っている間にやった方が良い。細胞が残っていないと遺伝子導入しようにも、導入する対象の細胞がないと使えません。
 では、細胞がほとんどなくなっている場合、かなり末期になってほとんど目が見えないような状態になった場合どうするのか。それでもどうにかなります。神経を作るのです。どこから作るかというと、神経になる細胞があります。幹細胞とかES細胞とか、最近話題になっている細胞です。すべての細胞に分化できる能力を持った細胞です。こういったものから神経を作って、神経のネットワークを再構築させる、神経を再生させてネットワークも作りなおすという治療戦略です。これは細胞がなくても関係ありません。これがいちばん将来性が大きく、実際にいま研究している人もいちばん多いものです。再生医学の専門学会に行くと演題の6割は幹細胞です。あとは代用するというやり方、人工網膜の移植です。これに比べたら幹細胞の方がはるかに将来性があると思います。このように、自分の原因が何であれ、進行の状態がどうであれ、必ず選べる治療戦略があるということです。ご自分の状況にあった、いちばんニーズのある治療を選んで、その治療を受けることができるだろうという予想です。
 ここから先は各論になりますので少し難しくなります。まず遺伝子導入です。ウィルスベクター、リポソーム、電気的な刺激などを用いて、外来遺伝子を細胞内に導入します。
 歴史的に見ると、まずRDマウスの研究があります。これは網膜色素変性のモデルマウスで、ベータPDEの遺伝子異常、ヒトでいえば劣性遺伝の遺伝子異常です。このマウスの受精卵に正常のベータPDEの遺伝子を導入して、正常な遺伝子と異常な遺伝子の両方を持つマウスを作ります。すると網膜の変性は100%救済できました。これが遺伝子導入の治療のポテンシャルです。潜在能力は100%です。この扉が開かれた年代が1992年です。1992年にサイエンスの扉が開かれたのです。しかし、この方法は臨床では実際に使えません。実際に使える方法としてアデノウィルスベクターを用いて、マウスの網膜下に投与して局所的に網膜で遺伝子を発現させることに成功したのが1994年です。その後たくさんの報告が出ましたがすべて省いて、2001年の報告を見ますと、RPE65遺伝子という、ヒトにもある色素上皮細胞の遺伝子に異常がある犬にウィルスベクターを用いて正常な遺伝子を導入して、視機能を回復させています。この犬は障害物を避けて歩けるようになりました。小動物のマウスやラットを使って研究している場合は、臨床応用ははるかに先のことですが、このように大型の動物で研究されるようになると、臨床応用はすぐそこということになります。
 1992年に扉が開かれて10年が経ちます。ということは、ひとつの治療戦略はトピックの分野であればだいたい10年で目処が立ってくるということです。まず受精卵に遺伝子を導入した研究の詳細について説明します。受精卵に正常な遺伝子を導入して細胞が増えたところで、擬妊娠マウスの子宮に戻して、子供のマウスを出産させ、さらに正常な遺伝子を持っているマウスを繁殖させます。こうするとすべての細胞に正常な遺伝子が入りますから、導入効率は100%で、生まれてから死ぬまでその遺伝子は発現します。つまり最も理想的な遺伝子導入がされたときの治療効果は100%です。
 アデノウィルスベクターは、増殖に必要なE1AとかE1Bという部位を取り除いて、そこに外来遺伝子を組み込んで作ります。神経細胞でもこの外来遺伝子は発現できます。安全性とか、感染効率は高いのですが、持続性がありません。持続性を高めるために工夫されたベクターもいくつか開発されています。
 これは実際に網膜下に注入して、ラックZ遺伝子を発現させた例です。ラックZ遺伝子産物は染色すると青くなります。これは眼球を外から見ています。網膜のところが青く染色されていることがわかります。これを組織で見ると、問題となる視細胞や色素上皮細胞で導入されています。
 遺伝子導入の問題点です。ここでいくつ問題点が上げられるかによって、その将来性がわかってきます。ひとつも問題点が上げられないということは、未来が見えていないということと同じですから、将来性がないということになります。どういうことが問題かというと、まず導入効率です。これは網膜の色素上皮では高いのですが、視細胞ではあまり高くありません。これが少し問題です。色素上皮細胞の遺伝子に異常がある患者の場合には都合がいいですが、視細胞の遺伝子に異常のある患者の場合には治療効果が低くなります。次に持続性です。これがまだあまり長くありません。1ヶ月から1年くらいです。マウスやラットで1ヶ月とか2ヶ月というのはヒトの10年くらいに相当するのですが、1回の治療では済まない可能性があります。何回か投与しなければいけない、ということが少し問題になります。安全性ですが、非特異的に入ってしまう、いろいろな細胞に入ってしまうということが問題になります。ベクターそのものに毒性があります。ただし、濃度を控えれば毒性は出ません。それから免疫反応です。これも免疫反応が起きないように工夫されたウィルスベクターが開発されています。このように問題を解決しようと思えばできます。ただ得られる利益と起こりうる不利益を両天秤に掛けて、不利益の方が重いと考えられる場合には治療を受けない方が良い。そのためには情報が必要です。起こりうる不利益の最大のものは何かを情報として知っておいた方が良いということです。遺伝子導入はすでに悪性腫瘍や先天性の代謝異常、命に関わるような先天性の代謝異常の患者でもうすでに行なわれています。一例だけですが、死亡事故の報告があります。18歳の肝臓の酵素異常がある患者にアデノウィルスベクターが投与されました。肝動脈から肝臓に投与しています。このとき投与したウィルスの濃度が問題です。濃度が3.8×10の13乗感染粒子で、眼科領域で使われる最大濃度の一万倍の濃度が全身投与されています。ウィルスですから、感染症と同じ反応が起きます。非常に高濃度のウィルスが投与されたので、免疫反応が全身で起きて、投与して4時間くらいで発熱と出血斑とが出てきて4日後に亡くなったという報告です。肝臓と目では圧倒的に組織の大きさが違うので目の場合局所投与で済むことと、濃度として毒性があるため一万分の一までしか使えないということから、ほとんど可能性はゼロに近いといえますが、一度起こってしまうとゼロとはいえません。だから情報として知っておいた方が良いと思います。目の場合には、目の局所、硝子体とか網膜下に投与するので、あまり全身的な影響は出ないのではないか、目の中だけの副作用を考えれば良いのではないかと思いがちですが、そうではありません。
 投与する場所によるのですが、目の中の硝子体に投与すると、視神経の構成細胞である神経節細胞に入って脳に運ばれます。脳に運ばれて頭のいたるところで導入遺伝子が発現します。これがその像です。グリーンに発色しているのは導入された遺伝子産物です。このように投与の仕方によっては異所発現する可能性があります。脳で発現したからすぐ悪さするというわけではありませんが、全身的な影響がゼロとはいえません。網膜下に入れるとこういうことは起きません。網膜色素変性症の場合は、遺伝子導入されるとしたら網膜下で投与されると思いますから、起きる確立は少ないといえます。このように問題はあるのですが、遺伝子導入自体は2002年に入って眼科領域で臨床応用が始まっています。対象は加齢黄斑変性の患者です。加齢黄斑変性は、網膜と脈絡膜の間のバリアー機能が壊れて、脈絡膜側から新生血管が網膜の中に進入してきて、網膜の中でその血管が破綻して出血する病気です。目の真中でしかも両眼で起きますから、あっという間に見えなくなることがあります。有効な治療戦略がなく、患者の数が多く、欧米では社会的失明原因の第一位です。入れている遺伝子は新生血管を抑制する物質です。それをアデノウィルスベクターで入れます。濃度を振って安全性を見ている段階です。ここで安全性が確立されてくると不利益の部分が軽くなりますから、あとは利益だけを考えれば良いということになります。そうなると次は網膜色素変性症の患者に適用が広がってくる可能性があります。ただし、この治療は誰でも受けられるというものではありません。本当に限られた人だけになります。
 すべての人が受けられる治療として、神経保護的な治療があります。これは先ほどいった細胞の自殺の進行をブロックして視細胞が消失するのを未然に防ぐ方法です。これは原因遺伝子に関係ありません。病気の種類にも関係ありません。
 一過性にではあっても、細胞の変性を防ぐことができることが科学的に確認された因子というのはたくさんあります。そのほとんどすべては神経栄養因子と呼ばれる物質に属するものです。それ以外は細胞が自殺するときに実際に使われる道具に関係しているものです。
 いちばん最初に報告されたのが、bFGF、繊維芽細胞増殖因子です。これを硝子体内あるいは網膜下に投与することで、網膜色素変性症のモデルラットの視細胞の変性を遅らせることができたという報告が1990年に出ました。実際に網膜色素変性症の患者で視細胞が良く保存されている部位には高濃度にこのbFGFという物質が蓄積していることもわかっています。つまり生体が防衛反応としてこういうものを使っているのです。生体の中にすでにあるということです。
 神経栄養因子というのはどのように細胞に作用するか。これはNerve Growth Factor、NGFと呼ばれるファミリーに属するものです。細胞の膜に受け皿(受容体、レセプター)があります。作用する受け皿が決まっています。この受け皿に結合するのです。決まった受け皿に結合すると、細胞の中にシグナルが伝わっていきます。神経保護的なシグナルです。このシグナルが細胞の自殺のプログラムをブロックするのです。このレセプターを介して、細胞の自殺をブロックして神経保護的な作用を発揮します。こういうものはng/mlの非常にわずかな量で、強烈な保護作用を発揮します。しかも実際に生体の中にあるものです。
 ただし、その作用は複雑です。これは網膜のグリア細胞であるミュラー細胞ですが、強い光刺激を加えると視細胞が変性します。そういうモデルを使って試されたのですが、NT−3という物質、これは視細胞に直接作用して視細胞を保護することもできるし、ミュラー細胞に作用して、この細胞が別の栄養因子、bFGFを作って、それが保護的に作用することもできます。つまり直接的にも間接的にも作用します。一方、このNerve Growth FactorはTrkAという高親和性の受容体が出ている場合には、間接的な作用で保護的に働きます。直接作用はありません。ところが、このミュラー細胞がp75という低親和性の受容体を出していて、ここに結合してしまうとbFGFを作らなくなり、視細胞が死んでしまいます。このようにミュラー細胞の反応によっては、保護作用を発揮する場合もあるし、細胞を殺してしまう場合もあります。メカニズムが非常に複雑で、まだわからない部分が多いのですぐに治療に使えるわけではありません。
 細胞の自殺に関する直接的な道具にターゲットを絞った場合です。C−fosと呼ばれる蛋白があります。これを潰したマウスですと、光障害による視細胞の変性が完全にブロックされるという報告があります。細胞の自殺のプログラムを止めるという方法もポテンシャルが100%の場合があるということです。しかし、このC−fosはダメージの種類を変えると細胞が死んでしまうことがわかりました。つまり、ホームランと空振りがあるのです。光障害の場合にはホームランで、ものの見事に救済するのですが、網膜色素変性の機能障害によって起こる視細胞の変性はブロックできませんでした。何故こういうことが起こるかというと、細胞内で使われている道具がたくさんあるからです。ダメージの種類によって、自殺に使う道具が違うのです。これでは治療戦略にならないかというとそうでもありません。世界中の人が研究するから良いものが見つかってきています。ミトコンドリアの膜蛋白であるBcl−2を過剰に発現させると変性を防ぐことができるという報告が出ると、他のグループがBcl−2とBAG−1と呼ばれる蛋白の両方を強発現させたら変性をさらにブロックできたと報告しています。過剰発現させて細胞救済できるのなら、Bcl−2の遺伝子を導入すれば良いということになります。
 次に外科的な治療です。色素上皮の移植です。これは豚の網膜に胎児の色素上皮を移植した例です。移植した細胞だけを染色する技術によって導入された細胞が示されています。このように移植手術を行なって細胞を救済する方法です。
 何故色素上皮細胞かという理由は二つあります。色素上皮細胞そのものが網膜色素変性の病変の初発部位になりますから、異常な色素上皮を取り除いて正常な色素上皮を入れることは原因の除去になります。色素上皮は、視細胞に対して保護作用のあるbFGFという物質を分泌しますから、移植した場所から離れたところにある視細胞も遠隔操作で保護してくれます。原因を除去して視神経も保護する。二重の治療効果が上がるということで期待が寄せられています。
 実はこの色素上皮移植は人でも行なわれています。24名の加齢黄斑変性の患者に対して、1991年から網膜色素上皮細胞の移植が試行されてきました。ただし、長期にわたる視力の改善は得られませんでした。その最大の原因は拒絶反応です。他人の細胞を移植しても拒絶されて結果的になくなってしまうのです。目の中は拒絶反応が起きにくいというのは間違いだったのです。必ずといっていいほど拒絶反応が起きるようです。移植する場合は自分の細胞でないとだめだということです。もし他人の細胞を移植されそうになったら断った方がいいです。失敗することが目に見えています。
 そこでどうするかというと、自分の虹彩(茶目の部分)の色素上皮を利用します。虹彩を切除して培養で増やし、網膜下に移植する二段階の手術をします。拒絶反応は起きません。実際に32名の加齢黄斑変性の患者に執行されています。この病気は再発性があるのですが、再発もしていません。倫理面の問題もないので利点が大きいのですが、欠点もあります。網膜の色素上皮と比べて虹彩の色素上皮は機能が落ちます。視細胞の保護効果が少し落ちます。視細胞をリニューアルする能力も落ちます。そのためか、最終視力に0.4という上限があります。何故0.4なのかわかりませんが上限があると報告されています。これを解決するために、培養の段階でBDNFのような栄養因子の遺伝子を導入したスーパー虹彩色素上皮を作って、それを移植しようということが検討されている最中です。
 神経保護的な治療の問題点です。重要なことがいくつかあります。ひとつはネクローシスです。ネクローシスとは何か。これは細胞の自殺でなくて、細胞の他殺です。他殺というか、自爆テロに近いものです。細胞が破裂するように死にます。アポトーシスは炎症反応を誘発しないので死ぬのは自分だけです。だから細胞の自殺です。ネクローシスは、細胞が破裂するように死にますから、周囲の細胞が巻き添えにされて被害が拡大します。被害を最小限に食い止めるための防衛反応として細胞が自殺するのです。原因を無視して使うと、ネクローシスを誘発する危険性があります。工夫してネクローシスを防ぐことが必要です。例えば、細胞が一過性にしか必要としないBDNFのような栄養因子を、外部から硝子体内に投与しつづけるとネクローシスが起こると思います。しかし、BDNFの遺伝子を細胞の中に入れる方法ならば、細胞の中でいくら蓄積しても、細胞の膜の受容体にBDNFが結合しないかぎり保護作用を発揮しません。遺伝子が細胞の中にあるうちは粗大ゴミみたいなものです。細胞は必要に応じてBDNFを分泌するようになりますから、コントロールできます。
 網膜の構造変化を誘発するものもあります。bFGFを硝子体に投与するというネイチャーの報告は1990年に第1報が出ました。これは網膜で血管の走行異常を起こします。こういうものは使えません。bFGFというのは繊維芽細胞増殖因子ですから神経細胞以外の細胞に作用します。こういうものは使いにくいといえます。細胞を救済する強烈な保護作用を発揮する物質はいくつか見つかっています。ミトコンドリアの膜蛋白であるBcl−2もそのひとつです。こういうものは確かに有望なのですが、非特異的に作用すると、細胞が死ななくなります。そのために腫瘍が発生する可能性もあります。保護作用を強烈にすればするほど、安全性が下がるのです。ただ、点眼や内服のような非常にマイルドな方法で、安全に救済効果を発揮するものがいくつか見つかっています。そういうものが今後臨床の現場に次々出てくると思います。実際に治療を受けても、はじめのうちは効いているのか効いていないのかわからないと思います。過度な期待を寄せるのではなくて、サイエンスとして根拠がある分、アダプチノールよりましだろうと思ってください。そのうちに洗練されてきて、神経特異的に保護作用を発揮する治療戦略が出てくると思います。
 次は細胞を作る、神経のネットワークを作りなおすという治療戦略です。何故このようなことができるようになったか。それは全能性幹細胞と呼ばれる細胞、ES細胞によるものです。これは受精卵が少し増殖したときの細胞成分です。すべての細胞に分化できる能力を持っていて、しかも自己増殖能力を持っています。バイオレベルですべての細胞に分化できる能力を保持したまま、増殖させる技術ができたので、これを使って神経細胞を作ることができるようになってきました。培養しているうちに、それぞれの組織の幹細胞と呼ばれるものになります。神経やグリアになる神経幹細胞、血球細胞になる造血幹細胞、軟骨や筋肉になる間葉系幹細胞などです。これらを移植することによって神経に分化させることができます。昔の医学の教科書には、間葉系幹細胞は軟骨や筋肉にしかなれないと書いてありました。これは間違っていたのです。条件を振ると神経にもなるのです。神経の幹細胞も条件を振ると、軟骨や筋肉あるいは血球細胞になります。自分の細胞でないといけないのだったら、幹細胞と名の付くものを自分の身体のどこかから取ってくれば良いわけです。例えば、骨髄の幹細胞を取ってくることができます。その中には造血幹細胞も間葉系様幹細胞(骨髄間質細胞)もありますから、条件を振れば神経になります。それをうまく移植すれば、神経系を作ることができるはずです。
 実際にES細胞の培養を追跡した結果です。最初は未分化なマーカーを出していますが、そのうち神経の初期の段階を示すマーカーであるアダキシンやフラキシンが出てきます。神経にどんどん分化していく様子です。
 ES細胞をそのまま網膜に移植すると、コントロール不能の増殖をして腫瘍を作ってしまいます。しかし、ある程度分化が進んだ幹細胞であれば、腫瘍は作りません。いま行なわれているのは、脳由来の幹細胞を網膜に移植する方法です。記憶を司る海馬由来の幹細胞や脳由来の神経前駆細胞を移植することが試みられています。網膜に虚血や損傷のダメージを加えてから、幹細胞を硝子体内に注射します。網膜下ではなく、硝子体内に注入するだけです。網膜では細胞が減っていますから、細胞を要求します。そうすると勝手に中に入っていって、神経に分化するのです。こういう能力を持っているのです。
 これは網膜下に移植した幹細胞を染色した図です。重なっている部分があります。これはシナプス形成をしていることを示しています。移植した幹細胞が網膜の細胞とシナプスを作ってネットワークを作る、そういうポテンシャルを持っています。ただし、問題も出てきました。脳由来の幹細胞ですと、神経細胞にはなるのですが、網膜の神経細胞ではなくて、頭の神経細胞のようです。つまり網膜の組織に適応しきれないのです。ということは、成人の眼球に網膜の幹細胞があって、それが取ってくることができる場所にあれば、理想的です。それを取ってきて増やして移植すれば、ポテンシャルをさぐる研究としては終りということです。
 そして、その網膜の幹細胞が発見されたのです。毛様体扁平部と呼ばれる場所に色素上皮細胞があって、これを培養してから細胞を一つひとつ調べていくと、双極細胞もミュラー細胞も視細胞もあったのです。これはアダルトのマウスの目で見つかったのですが、ヒトの目の中にもある可能性が高いものです。しかもこれは取って来ることができる場所にありから、それを増やして移植すれば、網膜の細胞が減っていれば、勝手に分化してシナプスも作ってくれるということになります。こういう再生医療の成否を決めるのは、その治療の原理が生体の持っている自己治癒能力、組織の修復能力にどれだけ依存しているかによると思います。そういう意味からもこの方法の将来性は非常に高いといえます。ここまでくれば研究分野としては終了といっても良く、これ以上選択肢を横に広げる必要はありません。あとは前に進むだけです。これが2000年の報告で、幹細胞は今さかんに研究されていますから、10年くらいで研究レベルでの目処が立つと考えて良いと思います。
 最後に人工網膜の移植です。これも方法としては理にかなっています。網膜色素変性症の患者は、仮に視細胞がほとんどなくなって目が見えなくなったとしても、内層の細胞は50%くらい、神経節細胞でも30%くらいが残っています。残っている神経節細胞に刺激を伝えて、残っている神経細胞が頭に刺激を伝える方法です。なくなった視細胞は人工網膜で代用します。画像処理部をメガネの前に持ってきて、赤外線センサーか何かで埋め込んだ人工網膜チップに刺激を伝えて、この人工網膜から電気刺激を残っている神経細胞に伝えます。電気刺激を伝えて神経細胞に仕事をさせれば、それは神経保護そのものになりますから、二重に効果が上がります。狙いとしては悪くないのです。しかし、この方法と幹細胞の移植を比べて、どちらが将来性があるかというと、これは一目瞭然です。何が問題かというと、人工物を目の中に入れることが問題ではありません。これは別に問題ありません。問題は人工網膜から残存している細胞に刺激を伝えるときの伝わり方です。これはまったくアットランダムに伝わるのです。リハビリをすれば、ある程度はネットワークが再構築できるとは思うのですが、映像化できない可能性があります。光は感じることができても、映像として認識できないということです。幹細胞の移植の場合は、組織の要求に応じて、できる範囲内で勝手にシナプスなどを作ってくれます。ネットワークの再構築まで考えたときには、こちらの方が優れていると考えられます。
 以上で治療戦略の話はおわりです。自分の原因あるいは進行の状況に応じて適切な治療を選べる時代になると思います。情報を収集して治療の一長一短を理解したうえで、来るべき日に適切な治療を受けてください。それはそんなに遠い先の話ではありません。


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