「神に出会う」

F・M(女性 太宰府市)


 朝、目が醒めると目の前に指をかざし本数を数えたり、ちらちらと手を左右に振って、僅かな残存視力を確かめる朝の仁義を終えて、台所に立つ。

 それにしても不思議だ、みえなくなっても台所仕事は見えている時と同じ様にできる。
 キャベツのせん切りもキューリも向こうが見えるくらい薄く切れて〈トントントン〉と俎板の音もリズミカルに響き揃っている。

 一方、出勤前の僅かな時間毎朝ジョギングをしていた夫が、外歩きが難しくなった私に言った。
 「あんたも走りに行ってみれば」
と、こうして二人三脚の歩きが始まる。

 ゆっくりペースといっても運動不足の身には、とても辛く、いつ止めようかと考えながらついて回った。
 このころ太宰府市に走ろう会が発足し仲間に入れてもらった。
 この走り友らと市民ランナーの大会に又日本視覚障害者マラソン協会(JBMA)の大会や福岡シティーマラソンにと参加した。
 そうした或る日、この出口の無いトンネルから引き出してくれる神に出会う機会をえました。

 市の公報に点訳及び音訳ボランティアの養成講座受講生を募るという旨の福岡点字図書館の記事を家族が読んでくれた。
 早速、その福岡点字図書館を恋人にでも会うかのように、どきどきしながら訪ねた。
 目がみえるようになるわけでもないのに、なにか光が見い出せそうなすがるような気持ちと裏腹になぜ点字図書館へという思いが頭を擡げるのを宥めながらでかけた。
 四王寺山が長い緑の裳すそを広げた先に福岡光明寮という、按摩、マッサージ師の資格取得のための学校があり(現在の授産施設・光明園)、福岡点字図書館はその館内に併設されていた(春日市のクローバープラザ内の福点の前身)。
 当時の 永野 武治 館長は点字書、テープ図書のぎっしり詰まった書庫を案内して下さり、あなたが一生かかっても読みきれないほどの蔵書がありますよと言われ、更に机上に点字器一式を揃えて点字を覚えられると楽しいですよと静かに仰った。

 慣れ親しんだ勤めも辞めた専業主婦にとっては、家族が、職場へ学校へと出払ったあと一人の昼間、次々と届く点字書やテープ図書を読みあさるこの時が何よりの至福の時間であった。
 が、人指し指の裏で点文字を読むのはなかなか骨がおれた。
 何度か投げ出しながら1年くらいかかってゆっくり読めるようになった。
 図書館からは読みやすい 松谷 みよ子 の童話が届いた。
 今の様にパソコンも何も無かったあの時期先生は視覚障害者の日々をもう少し潤いのあるものにと読書にことさら力を注が常に地域社会に向けて理解と協力をと働きかけておられた。
 ご自身も大学在学中失明されている視覚障害者であり、短歌結社の古い道人でもあった、福点の行事として「福点読者ボランティア合同短歌会」という名前のうた会を主催されていた。
 この集いに行けば大勢のボランティアの方や同じ境遇の視覚障害の友人たちに会えて元気を貰うことができる。
 年に二度のこの行事を待ちこがれて必ず参加していた。

 30年近く経った今もそのご縁は切れることなく、師の亡きあとも支部歌会として昔ながらのうた友や新しい顔ぶれも増えて、毎月のうた会もいよいよ活発になっている。
 更にJRPSへの入会で、素敵な仲間の皆さんとお知り合いになり勇気や元気を貰いパソコンやカラオケとまた友達の輪が広がっています。

 大宰府走ろう会の皆さんには夫婦共々20年以上ものお付き合いをさせていただいている。
 大宰府そしてそのほかの走ろう会の皆様の支援を受けて毎月第1土曜日の午前中、大濠公園を会場にランニングやウォーキングを楽しんでいます。
 視覚障害者の皆様ならびに支援いただける伴走サポーターの皆様方のご参加をお待ちしています。


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