「色変と出会って40年」

S・S(男性 田川市)


 三十代初め、時々目の前を細い糸みたいな物が浮いているかのように見えたり霧がかかったように見えるので、数軒の眼科で診察を受けたところ、小倉の眼科医院で、
「網膜色素変性症という進行性の眼病で、視野が徐々に狭くなり、ゆくゆくは小さな節穴から物をみるような感じになる」
と言われ、初めてこの病名を知りました。
しばらく通院していましたが、症状は殆ど進まず、日常生活上なんら不自由することもなかったので、いつしか行かなくなっていました。

平成4年6月、福岡市のある眼科医院で診察を受けましたが、色々な検査の後、眼底写真を見ながら、初老の先生は、
「この病気はまだ的確な治療法がないのでわざわざ遠方から治療に通うより、失明に備えて鍼灸・マッサージや点字を習得したほうがよいと思います」
と夢想だにしないことを言われました。
私はこの当時でも、まだ視野・視力共に十分で、失明の宣告をされても不思議と切羽詰った悲壮感はありませんでした。
西洋医学で駄目なら、東洋医学に頼るしかないと、早速翌月、かねてより聞いていた関西の鍼灸大学付属病院を受診し、鍼・灸と漢方薬で治療を受けましたが、何分、関西まで通うのが大変なので続かず、半年くらいでやめました。
その後、知人の紹介なとで鍼灸院は時々通っていましたが、症状はなんとなく少し視野が狭くなってきたなと感じていました。

60歳になった平成9年11月、何か新しい治療法はないものかと、九大病院眼科を初めて受診しました。
その時、診察された先生は、
「断言は出来ないが20年位は持つでしょう。勿論、現在の視力が続くという意味ではなくて、悪くなりながらも日常 生活に於いて大きな不自由をせずになんとか過ごせる という意味で」
と言われました。
この5年前に失明する前に点字・鍼灸の習得を勧められたことがあるだけに、嬉しくて、急にパッと目の前の視界が広がった思いでした。
また、発病以来これまでの進行のスピードから考えても素人なりに納得がいくように思いました。

平成16年2月には網膜電位の測定をしましたが、殆ど反応がなく、ゼロに近いそうで、先生の話では視野が狭くなる前に反応が先になくなる人もいるということでした。
いずれにしても、度が進むのは覚悟しています。

九大初診以来、もうすぐ13年になりますが、さすがに視野は着実に狭くなっていて、車での通院も2年前よりJRにしました。
また近頃、雑踏の中や大きな駅などでは人にぶつかることも増え、支部の方にサインとして折畳み式の白杖の携行を勧められ、福岡に行く時はカバンに入れていくことにしました。

中学生の時、学校が大濠公園のすぐ近くにあって、体育の時間にはいつも大濠公園を一周走ることになっていました。
支部の行事で「大濠公園を歩こう会」がある事を知り、大変懐かしく今年3月より参加させて頂き、又、続いて花公園ピクニックや総会等、支部の皆様には色々とお世話になっています。
最初、この原稿を依頼された時、一度は辞退したのですが、比較的進行の遅い私のようなケースも何か参考になれはと思い、拙い文ですが書かせて頂きました。



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