「この病気とつきあって」

Y・H(男性 久留米市)


私は現在50歳になります。
母親が網膜色素変性症(色変)であったため、私も同じ病歴をたどっているようです。
小学生の頃から暗いところで少し物が見えにくかった覚えがありますが、自動車の運転免許を取ることもでき、30歳代までは生活する上であまり困った事はありませんでした。
しかし、40歳半ば過ぎから、暗い所で目が慣れるのに時間がかかり、明るい昼間の光が眩しすぎるように感じるようになりました。視力もだんだん落ちてきて、眼鏡で矯正しても視力が上がらず、今は仕事をする上でも支障がでるようになっています。
 
自分が色変であるため落ち込むことがあります。
次第に見え方が悪くなり、このまま進行が止まらず失明したらと不安になります。また、今の仕事を続けることが難しくなってきていますので、経済的な心配もあります。

そのような時、私は筑後家族会の活動に参加するようになりました。その活動を通して、その不安や心配が少しずつ解消されてきていると思います。

同じ病気で悩んでいる方々とお会いして懇談する中で、知らなかった色変の医療情報や生活の質を向上させる福祉関係の情報を教えていただきました。それまで躊躇していた九州大学病院眼科の受診や身体障害者手帳、障害年金の手続きもすることができました。

色変であることを悔やんでばかりではいけないことも会の皆さんから教えていただきました。皆さんに出会えたことにとても感謝しています。
 
これから先も自分の病状のことや仕事のことで悩み落ち込むことがあると思います。その時の支えになるのは家族だと思います。私は妻に筑後家族会の活動に参加してもらっています。また、会の運営にも協力してくれます、色変に関することが新聞に載っていると教えてくれ、読んでくれます。
私の病気のことを理解してくれてとても感謝しています。
この病気とつきあっていくためには、ひとりで悩まずに、家族に色変のことを理解してもらい、悩みを相談できる人の支援が必要なのだと思います。1日も早く色変の治療法が確立され、この悩みがなくなる日が来るのを期待しています。

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