「この病気と付き合って」

Iさん (女性 久留米市)  

 
 私は49歳の主婦です。主人と三人の子供がいます。

私が色変だと知ったのは、30代 に入ってからでした。小さい頃から違和感は感じていました。素早い動きをすると人にぶつかり易かったり、球技が苦手だったり、暗闇が苦手だったりと、なぜなのか一人で不思議に考えていました。

これが病気によるものだという考えにはいきつかず、私は特殊な目だと、いつの間にか無理やり納得させていました。そして、暗い場所には行かない事、素早い動きは取らない事を心がけていました。

結婚もして子供も設け順調な日々を送っていました。
色変であることがわかり、それがどんな病気か分かった時、現実の事として受け入れたくありませんでした。が、症状は少しずつ少しずつ確実に悪くなっていきました。それでも出来る限り正眼者のようにやりたいと思ってたので一生懸命に頑張りました。

不特定多数の方と会う学校行事参加、親戚の集まり、家族でやっている仕事、母と一緒に行っている家庭菜園など、人付きあいにおいて神経をつかいました。

子供達以外は、私の病気の事を知ってはいたのですが、進行具合は詳しくは言いませんでした。歳とった親と心配性の主人に進行具合を伝えて心配させるわけにはいきませんでした。今は分かります。この事が返って良くない結果を生んでいた事が。

いくら正眼者っぽく振るまっても、見えないものは見えないんです、自分を偽って日々を過ごしていた事で、実際には心も体も悲鳴を上げていたのです。
朝目を覚ますと、一日が始まる事への不安を感じている自分がいました。

玄関を出ると、全身が緊張しているのです。こんな状態を続けた事で、自律神経はバランスを崩し、右半身には痺れを感じています。
いつのまにか、家庭も暗くなっていた事でしょう。
仕事場の雰囲気も同様です。

こんなになっても、自らの口から状況を話す事は出来ませんでした。
見かねた主人の母が、救いの手を差し伸べてくれました。現状を話せた事で、周囲の理解を得て、過ごしやすい環境を作っていく事が出来ました。

手帳の申請、補助機器の購入、視覚障碍者用パソコン教室への加入。この事は、情報化社会から取り残される恐怖からも私を救ってくれました。

色変は、見た目で分かる病気ではありません。難しい事ですが、理解してもらう為には、言葉で言う必要があるのです。良い対人関係を築く為に気をつけています。

生きる事を投げ出そうとしていた私が、変わる事が出来ています。
何事も、諦めなければ変える事が出来る。この言葉を信じて日々を送っています。

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