「障害という個性」

T・M (女性 糸島市)
 

 私は、昭和57年福岡市生まれ現在(H26)31歳、糸島市に住んでいます。
今回の寄稿については、網膜色素変性症(以下色変)と診断を受けて1年ほどしか経過しておらず、まだ初期段階の症状であるため、どういったことを書けば良いものか引き受けることに戸惑いもありましたが、今後の自分の為、そして色変の周知の為にも何か発信していかなければと思い決意しました。

まずは、色変と知るまでの過程と知ってからの行動、そして今の心境を述べたいと思います。

夜盲を感じ始めたのは、23歳頃でした。その頃は鳥目なんだな程度に思い、生活に不便はありませんでした。仕事は某放送局で事務職をしていました。

違和感を覚え始めたのが27歳頃。
横断歩道を渡ろうとして、横から入ってきた人にぶつかったり、階段が上手く昇降できないのです。照明の薄暗い飲食店や映画館では、座席が分からず困ることがありました。それでも、おかしいとは思いながら放置していました。
けれど、キャリーバッグを持った人や、膝下の高さのブロック等にあまりによくぶつかるようになってきたので、インターネットで夜盲や視野の症状から調べた時に色変を知りました。

いずれ失明の可能性もある、という文字を見た時に心臓がぎゅっと締め付けられた感覚を覚えています。それでも、4〜5千人に一人という割合を見て、まさかね…と思い、やり過ごしていました。目の異常については家族にも漏らしていた為、催促をされてやっと近所の眼科を受診したのが昨年の6月です。

眼底写真を見せてもらったとき、愕然とし、気が遠のきました。事前に調べておいた色変の症例写真と同じ、死んでしまった視細胞たちが薄く墨をぼかしたように、斑点状に写っていました。清算を待つ間待合室でひとり、隠れて泣きました。あらゆる思いが頭を駆け巡りました。一人娘なのに、両親の老後の面倒はどうしようか、仕事のこと、結婚のこと…。そして、当たり前のように見える世界に居たその場所から、自分だけが崖から落ちるようにどんどん切り離されていくようでした。

気持ちを落ち着ける為に、私は図書館に通いひたすら色変また目の病気のこと、遺伝子のこと、現在の対症療法、今後期待されている治療法のこと、それら医学関連の本を片っ端から読み吸収しました。漠然とした不安を持つより、事実を明確に認識することで、ひとまずの心の整理をしたのだと思います。

それからすぐJRPSの存在を知り自分からコンタクトを取りました。 そして、定例サロンに初めて行ったのが昨年の8月でした。

その時のことは忘れないように日記に書き留めています。
それまで私は、視覚障害というと全盲なのだと思っていました。「弱視」ということも知りませんでした。
私自身そうであったように、一般では視覚障害は一括りに捉えられている部分があると思います。
また、先の6月に行われた 理研の高橋先生を招いての講演会でも女性の方が言われていましたが、色変は瞳に変化が見られない為、視覚障害だと解ってもらい辛いということ。
相対的に障害者がマイノリティになる社会で生きていく為には、こういったことについて自分から伝えていくことの必要性を感じます。

この病気を知ってから、世界は一変しました。
今見ている景色がいつか見えなくなると思うと、日常の景色や家族や、大切な人の表情、そういったものの輪郭や色彩が苦しいほどに胸に迫るのです。

「個人差はあるが、比較的緩慢に進行する」というこの特性を呪わしく思う時もあります。暗闇が後ろを追いかけてくる様で、いつその腕に捕まるのかと不安と恐怖にパニックになり、泣きわめくこともあります。けれど、症状がゆっくり進むということは、早期に知ることができればそれだけ準備ができる、ということでもあります。

私は進行が早い場合に備えて、視覚障害者の為の理療教育の施設に入所しました。
現在はそこで基礎医学について学んでいます。
学校では、同じ視覚障害の先生や先輩に出会いました。そして、それぞれの視力の程度に合わせて様々な機器、点字ディスプレイや音声パソコン、拡大読書器などを使いこなしている様子を見て感じたことがあります。

私は、自分が見えなくなるということについて、この先出来なくなることばかりを数えていました。大好きな映画も読書もできない、こんな体になっては結婚なんて無理、お洒落も無理、私だけみんなと違ってしまう、と。でもそれは、私自身が全てを病気のせいにして閉じた考えをしていたのだと気付きました。

「ほんとうに大切なものは、目には見えない。」
これは、私の一番好きな絵本の中で王子様が言う言葉です。
その人が幸福であるかは、その人自身が決めるものだと思います。そして私の目指していたことは、形に拘らずとも達成できるのではないかと思えてきました。
辿り着く場所が同じであれば、道のりが変わっても構わないと。

この原稿を書いている数日前、iPS細胞を使っての黄斑変性の手術に成功したという大変喜ばしいニュースがありました。そうして、医療の面でも日々努力している方々がいるということも励みになります。
また、定例サロンで知り合った仲間達も、とても心の支えになっています。この場を借りて、本当にありがとう。

告知からの一年はあっという間に過ぎました。私のこの経験が、これから色変と向き合っていく誰かの一助になればと思います。

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