『この病気と付き合って』

                         (北九州市 女性 K・M)

初めて網膜色素変性症と聞かされたのは二十数年前に職場で受けた人間ドックでのことでした。その時は、信じられない、受け入れられないという思いだけでした。
当時はバイクや車で通勤をしていましたし、日常生活に不便を感じたことはありませんでした。近くの眼科に受診し、医師からのアドバイスでJRPSに入会し、いろいろな情報収集が出来たらと思いました。
当時は視覚障害者手帳4級でした。平成9年、新聞に「網膜の難病相談会・北九州市で」とあり、参加してみようと思い、その年の2月16日、戸畑市民会館に出かけたことが、JRPS九州支部(当時)との出会いでした。

その日は300人という予想を大幅に上回る参加者があったと聞かされました。同じ病気の人が沢山いる、私だけではないと、何かホッとしたような安心感がありました。

その日から二十年余り、現在は障害者手帳2級となり、視力は低下し視野もだんだん狭くなり、物にぶつかったり溝に落ちたり、落としたものはなかなか拾えず、少しずつ進行しています。

二年前に白内障の手術を片方受けて、今回、もう片方の手術を受けることになっています。色素変性と言う病気のため、白濁は完全には取れないということですが、少しでも視力が良くなればと思っています。まだ、近くは白杖なしで歩けますが、福岡へ出かけるときは白杖を利用しています。遠出する時は夫や娘、友人が同行してくれます。

7年前の3月、視力のあるうちにと思い、海外旅行に出かけました。ハワイのダイヤモンドヘッドに登ったとき、展望台には多くの外国人がいて、その人たちの流れに押され、同行者を見失ってしまい、頭が真っ白になってしまいました。
英語は話せないし、と思いながら一人で下山しました。その後、同行者が見つけてくれて無事に合流することができました。視野の狭いことを痛感した出来事でした。

次の日は星を見に行くことになり、町全体が明かりを消し、車のライトのみが明るく、まだ雪の残っている山頂は暗闇で、腕をしっかりつかんで、離れないように気を付けて、満天の星空を見ることができました。まるで宝石を散りばめたような美しさで、山頂の空気が冷たく、澄んでいるので、視覚障害の私でも見ることができ、北九州では、見ることのできない光景に感動しました。
その年の8月にはニューヨークにも行き、自由の女神やメトロポリタン美術館なども見学できました。
思い切って、海外へ出かけ、良い経験になりました。

現在は二カ月に一回の交流会を楽しみにしています。同じ立場の障害者同志、安心してお話ができ、生活に役立つ機器の紹介、料理やヨガ教室など、趣向をこらしたものが行われています。これもお世話をしてくださる方や、そのご家族の協力あってのことだと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございます。これからもこの病気と向き合って、前向きに、元気に、過ごしたいと思います。


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