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 『この病気とつきあって

                   ( 男性 H・K)

 五十路を過ぎて、私は突如「見えない世界」に迷い込んでしまいました。夢なら醒めてほしいと願いましたが、それは現実でした。「見える世界」に戻ろうと必死にもがき苦しみましたが、それは叶わぬ夢でした。半世紀に渡って「見える世界」に慣れ親しんだ者として、「見えない世界」は容易に受け入れることはできませんでした。
 「見える世界」に未練は当然あるし、それに執着するのもごく当たり前のことです。
なかなか障害を受容できない自分に嫌悪感を何度も覚えました。
 
 私は盲学校で、これまで「障害の受容」について生徒に多くを語ってきましたが、情けないかぎりです。
言行不一致もいいところです。かつて、「行ってみたい所は?」という質問に対して、「見える世界」という答が全盲の生徒から返ってきたことがあります。外国の地名や「宇宙」といった答が返ってくるものと思っていた私には、大変な衝撃でした。今の私には、その生徒の心中が十分理解できるし、ごく自然な発言だったのではないでしょうか。

 「見える世界」に戻れない以上、「見えない世界」に踏みとどまって生きていく覚悟が必要です。今まで通りの生活と仕事を続けていくためには、自分に何ができるか真摯に考えるしかありませんでした。自立と社会参加に向けていろいろと制約もありますが、白杖歩行や文字の獲得、そしてパソコン操作は早急に取り組む課題でした。

 まずは、電車とバスを乗り継いでの自力通勤は必須です。白杖を使っての通勤には当初抵抗もありましたし、自分の歩いている場所がわからず右往左往することもありました。しかし、多くの人に助けられながらも、無事クリアすることができました。

 次に、点字の触読です。幸い職場が盲学校だったこともあり、点字の知識は一通りありましたが、触読は容易にできるものではありませんでした。元来不器用な私にとって、触読は至難の業です。それが叶わなければ仕事を辞めざるを得ないと思うこともありました。しかし、ある日、突然奇跡(?)が起こり、点字が文字として私にも認識できたのです。半ばあきらめかけていた触読が自分にもできた喜びは、今までの人生で経験したこともない最上級のものでした。文字としての点字の獲得は、私にとって大きな自信となりました。最後にパソコンですが、機械音痴の私には、できるだけ関わりたくないものと思っていました。従来から使っているワープロで十分でした。しかし、見えない以上、音声を活用したパソコンに変更せざるを得ませんでした。実際使ってみると、ワープロの比ではありません。自由自在に文章を書くことができる喜びは格別です。また、メールを利用したり新聞記事を読んだり、辞書検索したり、大いに助けられました。パソコンでトラブルが起こるとお手上げですが、現在は大変重宝しています。
 
 最後に、このたび私は山口県から福岡県に転居し、JRPS福岡に入会させていただきました。引っ越し早々、北九州地区の懇親会にも誘っていただき、大変ありがとうございました。皆さんの温かいおもてなしと和気あいあいとした雰囲気に心が和みました。同病の患者として長いお付き合いになると思いますが、これからもご指導宜しくお願いいたします。

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