あぁるぴぃ広島 25号


■会員の声■

1 ヨット乗船体験
 皆さんこんにちは、広島市のMKです。こちら広島は晴天で、なんだか初夏のニオイがしてきました。 私の大好きな季節がやってきました。
 昨日、14人乗りのクルーザーと、2人乗りのアクセスインギーというヨットに乗せていただいてきました。ヨット初体験の私、なにもかもが新鮮で楽しかったです。
 クルーザーは、大学時代の仲間だといわれる、6人のおじ様達に乗せていただきました。とてもいい風吹いてぐーとかたむいたまま走るんです・・。 これが、ヨットなのねぇておもわず歓声をあげていました。風は、他の船の動き 波 マストにつけたリボンなどでよむんですって、すっごいです。 ちょっとしたハプニングで、海に落し物をし、それを潮の流れを考え探しあげ、拾い上げた時、私たち大拍手でした。「海の道具は、キイホルダーでも浮くようにしてあるんだよ。」って、へぇそうなんだぁ・・。 です。
 ヨットマンのおじ様達のチームワークを見ているのがとっても楽しかったです。二人乗りのアクセスインギーは、大学3年生のヨットマンが一緒です。「これはけっしてひっくりかえりませんから」と言って、操縦させてもらいました。 どうも同じとこをグルグル回っていたらしいです 笑い。この時もいい風吹いて、淵ギリギリまでかたむき、海に手をつけてスピードを感じてみました。 早い!つめたい! シブキが気持ちいい・・・。大勢のボランティア 、スタッフのこまやかな気配りで、とても楽しい一日を過ごせました。
 命の洗濯をしたので、これでまた長生きできます。


2 RPの子どもを持つ親へのメッセージ
 みなさん、お久しぶりです。広島のMNです。
 盲学校に入学してからというもの、本当に1日があっという間に過ぎていきまだ1ヶ月半しか通学していないのに、もう半年くらい経っている感じです。今日は学校の体育祭でした。小さな子供たちと一緒になって、私も童心に返ってとても楽しい1日でした。中学部や高等部の子供たちとも仲良くなり、友達感覚で接してくれる彼らに元気をたくさんもらいました。
 RPの子どもを持つ親へのメッセージとして私自身は成人してから障害者になったので参考にならないのですが先日、校内の弁論大会があり、そこで中学生の女の子が話したこと、私は涙がとまりませんでした。
 それは、こんな内容でした。
 小学校は普通学校に行った。低学年のうちは楽しかった。高学年になるとグループを作り始め、自分はなんとなくみんなのお荷物になっていき、修学旅行のときに「Aちゃんの世話をするの、面倒なんよね。」って友達どおしで話しているのが聞こえて、ショックを受けた。でもお母さんには言えなかった。だってお母さんが悲しむから。早く修学旅行から帰りたかった。学校へも、もう行きたくなかった。でも一人の友達が「私はAちゃんのこと、友達だと思ってるよ。」と言ってくれた。初めて人前で大声で泣いた。今まで苦しかったことが一気にあふれた。その友達の言葉のお陰で小学校を無事に卒業した。中学からは盲学校に通っている。盲学校ではみんなから頼られる存在になっている。今まで人を頼ってばかりいたから、頼りにされるのがとても嬉しい。みんなに喜んでもらえる人になりたい。
 大雑把ですが、こんな内容でした。
 視覚障害児のある子を持つ親として、普通学校に行かせるか、盲学校に行かせるか、とても悩まれると思います。私自身、もし、わが子に障害があっても受け入れてくれる学校があるなら普通学校へ行かせるかな、と思っていました。
 でもこの女の子の話を聞いたり、今日も体育祭でみんなが当たり前のように助け合ったり励ましあったりしている姿をみて普通学校へ行かせることが決してよいとは限らないのだなと思いました。
 今、私がRP児の保護者に伝えたいことは、その子に応じた環境を、色々と足を運んだり色んな人に相談にのってもらって、選択していただきたいと思います。
 盲学校にいる小さな子供たちは、ぎゅっと抱きしめたくなるほど愛しくてたまりません。それくらい一生懸命、がんばっています。
 そんな小さな子供たちに力をもらっている私です。


3 しまなみ海道ウルトラまらそん100km
 みなさん、こんにちは。福山市のKです。
 6月2日に「しまなみ海道ウルトラまらそん100km」に今年も挑戦してきました。
 今年は、ハプニング続きでした。最初お願いしていた伴走者が怪我で伴走できなくなってしまいましたが、私は、スタートの前日の雰囲気を味わいたくて、受付会場の福山ニューキャッスルホテルの受け付け会場に6月1日の午後2時過ぎに行きました。すると、いきなり「Kさん。」と誰かが呼んでくれます。4月の初めに岡山県で行われた「鬼退治マラニック(50km)」の伴走をしてくださった、超ウルトラ ランナーの女性の方です。受け付け会場をうろうろしていたら、大会主催者のKさんが来られて、「今年も頑張って。」と励ましてくださいますが、「今年は伴走者が怪我をされて走れないのです。」と言ったらすぐに、「伴走者急募」という貼り紙をしてくださって、20分もすると2人の人が伴走を引き受けてくださいました。私は、「どうせ、100kmの伴走者は急には見つからないだろう。」と思って、自宅に向けて帰っていました。ところが大会事務局から携帯電話に連絡があって、「伴走者が見つかりました。」とメッセージが入りました。あわてて、後帰りをし、その人にお会いしました。伴走をしてくださる人は世界中のフルマラソンは、走られている人で、北海道のサロマ湖は12回も9時間以内で12回も完走されているそうです。しまなみ海道の後にサロマ湖を走られるそうです。一旦切れた気分が継続できるか不安です。でも5回連続のスタートラインに立てる幸せお感じました。今年は、走れないと思っていましたが、急に走れることになって、家に帰ってあわてて仕度をしました。
 今年は、涼しくてとても走りやすかったです。エイドで元職場の後輩が「Kさん、がんばれ。」と励ましてくれます。あちこちのエイドでも「今年も来たね。待っていたよ。」と歓迎してくれました。でも昨年より少しズツ遅れてしまいました。
 70kmのエイドで、一人の伴走者が体調不良でリタイヤされて、バスで今治市(ゴール地点)に向かわれました。もう一人の伴走者も「一人では伴走できない。」と言われてここで、リタイヤかと、椅子に座って休んでいたら、エイドの人がマイクで伴走者を探していると放送をしてくださいました。するとすぐに琵琶湖タイマー図の人が伴走の申し出をしてくださいました。「今、着いたばかりなので、しばらく休んでからでもよいか。」と言われて、もう一人の伴走者も了解してくださり、しばらくして70kmのエイドを後にしました。
 80kmガ近づくころに腰の辺りに痛みが出て歩いたり走ったりを繰り返すようになりました。スタートから伴走してくださっていた人が「85kmの所にゴールに行く船があるのでそれに乗らないか。」と何回か、言われました。私は、その都度「遅くなってもゴールしたい。」とお願いして少しでも前に進むようにしました。85kmのエイドで改めてリタイヤを勧告されました。70kmのエイドから伴走をしてくださった人が遅くなってもゴールまで伴走をしてくださると言われたので、もう一人の最初から伴走をしていただいていた人に、ていねいにお礼を言って先に行ってもらいました。
 来島(くるしま)海峡大橋を渡っていると、 汽笛が「ボー。」と足元で大きな音がしたのでびっくりしました。来島海峡大橋を降りて90km過ぎの最後のエイドに立ち寄り、ゴールを目指します。昨年走っていた時とは、全く違った道を通っている気さえしました。月明かりの中をゴールしたのは、午後11時過ぎでした。
 でも、ゴールできた喜びは、ひとしおです。伴走者の皆さん、スタッフの皆さん、エイドで励ましてくださった皆さん、ありがとうございます。


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