あぁるぴぃ広島 32号


■会員の声(JRPS西日本MLから)■

1 Oさんからのメール〜遺伝子診断〜
(1)広島県福山市のOです。
 実は3年ほど前に私はT先生が京都の病院におられる時、遺伝の件で、先生に受診しました。
 私の家では祖母、父、 そして私を含め三人の兄弟の家で2人(兄と私)、兄の4人の子どもの内2名私の2人の子どもの内ひとりが遺伝しています。
自分の家族の状況を悩み、思い切って、先生を尋ねました。その時、自分自身の目の状況をデーターとして残してもらい、3年が過ぎました。その時、先生や検査をしてくださった方々が、「遺伝子の異常が見つかったら、こちらの方から連絡します。お待ちください。」との事でした。
 それ以来、3年の月日もたちましたし、諦めていましたら、今週の木曜日にT先生から、お電話があり、「Oさんの遺伝子で、異常と思われる遺伝子が見つかりました。この遺伝子がOさんの遺伝に関係していると思われますので、出来れば、私の他に 遺伝しているもの一人、また、遺伝していないもの一人、神戸先端医療センターにお越しいただけませんか。無理にとは言いませんが。」と言われました。
そして、もうひとつ、私の腕の皮膚の一部をとり、Mさんの書かれている研究と同じことだと思いますが、協力をして欲しいのですと言われました。私の兄弟と話し合い、2月16日に、行くことに決まりました。
 その事が少しでも、この病気の研究に役にたてば、皆さんが心配しておられる遺伝について、お役に立つと信じています。この病気は突発的な場合もありますし、今良くても、今後、身近な所で、誰に現れるかもしれません。
 私は遺伝に対して、本当に悩み、幾度となく涙を流しました。私の症例が、ほんの少しでもお役にたてば幸いです。
皆さんを暗い気持ちにさせてしまったら、ごめんなさい。この病気が良くなる事が夢ではなく、現実になるように強い気持ちで祈っています。

(2)福山のOです。私の今回の投稿に対して、皆さんの心からの思いを感じます。今回、私の場合、月日が3年以上たっているのですが、これは、それまで、わかっている遺伝子の異常では見つかっていなかったものだったので、連絡があるまでに月日がたったものだと思います。
連絡を受けた時、あらためて、この病気に対して、きちんと取り組んでおられた事も感じましたし、次の検査により、異常と思われる新たな遺伝子の発見につながるのではないかと思っています。
自分の事だけなら、とっくにくじけていたかもしれません。でも、私の後ろには子どもがいると思えば、自分の心も強くなれます。ですから、過去を振り返る暇も無く、背筋をのばして、前だけを見て生きています。
私の兄は、この病気の件では子どもに対しても、父と同じで、後ろ向きの考えです。私と対照的です。ある時、兄の遺伝している子どもから、「本当は相談したくても、お父さんは目の事を言うと顔が曇るので、話せないんよ。」と言われました。ですので、私に時々、電話で悩みを相談されます。
私の家は、この問題に対して、まず主人に理解をしてもらう事に多くの時間を使い、何度も話し合いをしました。いい日ばかりではありませんが、主人も事実を受け止め、少しずつ相談にのってくれました。子どもに対しては更に時間を掛けて、家族全員で話をしました。その後は私自身の生き方を見せて、それで、本人が自分の生き方を決めればよいと思っています。
よく、親の背中をみて子は育つといいます。この言葉が、この件にあてはまるかどうかはわかりませんが、私が嘆き悲しんでばかりでは子どものためにはならないとおもっていますので、これからも、自然体で生きていければいいなと思います。とにかく、神戸に行ってきます。応援してくださいね。

(3)メーリングの仲間の皆さん、こんにちは。Oです。皆様からのアドバイスは今の私には有難いです。あらためて、心から、有難いと思います。
以前、私の娘からの二つの問いかけがありました。
 ひとつは遺伝の事をふまえて、「お母さんは30代半ばで自分の病気をしったよね。私を生むときには今のように色んな事はしらなかったでしょう?私の場合は結婚する前にその事をしってしまったんだけど、私を生んでよかった?」と言う言葉。
またもうひとつは何ヶ月か経って、「お母さんは白杖歩行、パソコン、点字など、沢山努力しているけど、これから若い世代の人や新しく、この病気になってしまう人に対して、何を残そうと思うの。」という簡単に返事ができない内容の質問をされました。
 最初の質問に対しては、まず、自分自身に問いかけて、「今まで生きていて苦しい事より、楽しかった事の方が多かったから、あなたを生んで良かったと思うよ。お母さんの小さいころは今の時代みたいに夜が明るくなかったんよ。ましてや、お爺ちゃんの時代は、それこそ、もっともっと困っていて、そんな中で、お母さんたちを育ててくれたと思うよ。だから、お爺ちゃんが頑張れたから、お母さんだって大丈夫と思ったんよ。お爺ちゃんも男だから愚痴も言わずにお婆ちゃんと二人で育ててくれて、お母さんは本当に親には感謝しているよ。」と言いました。
 二つ目の質問には「今、見えなくなってからこそ出来る事をする事。そして、遺伝を含め、研究に協力をして、それが生かされれば、本当に嬉しいと思ってる。見ててよ。くじけんから。」と伝えました。
ですから、今回のように、すこしでも、お役に立てるなら、素直に嬉しいんです。遺伝の事は会員の皆様が、とても気にしておられる事の一つと思っていますから。
 病気は、したくてするものではないと思います。いま、結果が出なくても、いつの日か、この研究が、実る日がくる事を望みます。

(4)MLの皆様、こんばんは。Oです。
 以前メールでお伝えしましたT先生の所に兄弟3人で行ってきました。それぞれ3人の目についての聞き取り、視力検査 遺伝している兄と私は眼底検査がありました。
T先生は私の話を丁寧に聞いて下さり、私の強い思いを聞き「私の前で、涙を流された患者さんは沢山おられました。今日のOさんのお話をお聞きして、思わず私も泣いてしまいました。
私の傍には遺伝子カウンセラーのものがいます。患者に伝える事の難しさを日々悩みながら、診察しています。今日のお話で、あらためて、心の底から、研究を頑張りたいと思います。
その為にも、皆さんが協力してくださる事は大切なんです。お話を聞いて、さらに研究していく気持ちがみなぎってきました。これからも、お互いに頑張りましょうね。」という言葉を頂きました。
また、自分の病気に対して、後ろ向きの兄にはT先生と遺伝子カウンセラーの方が丁寧にお話をしてくださいました。
診察室の中では途中から、兄の笑い声も聞こえ、「今日は本当に来てよかった。素晴らしい先生だね。自分の気持ちを話せたよ。」と言う言葉を聴けましたし、遺伝していない姉からも「長い間、私だけが遺伝してないので、逆にわかってやれない事をずっと悩んでいたんよ。今日は2人に協力が出来て良かった。」と言う言葉が出ました。
姉がこんなふうに思っていた事を聞き、あらためて、今回の神戸行きは先生を始め、兄弟に対しても、感謝しました。最後に、血液検査を済ませて、それぞれ帰宅しました。
血液検査の結果がでたら、次回は私一人が行き、腕の皮膚を4ミリ程度取り、それが研究に使われるそうです。
 私のメール上の言葉で、いやな思いをされた方がおられましたら、すみません。今回は経過の報告です。T先生の強い思いがMLの皆様にお伝えできたら幸いです。

(5)MLの皆様、こんにちは。Oです。
 多くの方のメールを聞かせていただき、私の方こそ、嬉しく思います。同じ病気でも、本当に見え方や進行の程度、家庭状況などもあり、本当に、あらためて、考えさせられました。
私は家の娘から言われた事の中で、「私は同じ病気だけ、年齢も違うし、お母さんの小さい頃の見え方とは違うみたいよ。私達の小さな頃のお母さんの見え方が今、どのように変わってきているのか、私達家族のひとり一人、すべてを理解できているわけじゃないし。
だって、この病気は進行性だし、家の中では、お母さんは当たり前のように家事をこなしているので、難しい事が多くはなっているのは見てわかるけどね。もし、何か困っている事があれば、お母さんの目も進行性なら、私達家族も、それを理解する事に対して、進行性なのよ。
私も含めて、家族は、お母さんが何をしてほしいのか、理解するためにも、キチンと話してくれないと困るよ。言ってくれれば、みんなも理解できて助かるし、特に、お父さんは私達以上に、お母さんの事を心配しているからね。
病気も大変だけど、その病気を含めて、お父さんは、お母さんをサポートしているのだから、感謝しなきゃいけんよ。家族が理解できない事を他の人は、ましてや理解できないのじゃないかな。」と言われました。
娘からのこのアドバイスは、その後の私たちの生活の中でも大いに助かりました。 私は何もわからないのに悩むのは嫌な性格ですので、今回の遺伝子検査も、まずは、自分の遺伝を調べてみようと思ったわけです。
 今までの情報で、かってに自分が優性遺伝か劣性遺伝か決めたり、遺伝の可能性の確立をパーセントで決めたりなど、間違った理解のもとに結論を出しておられる方もおられると思います。遺伝カウンセラーの方のお話で、間違った判断をされておられる方が結構おられるとの話もありました。
また、私の祖母のように身内には一人も目の悪いものは、いない場合でも、その祖母から遺伝が始まりました。この問題は本当に難しい問題だと思います。ですから、自らの状態を知って、また、その事が、その後の研究に役に立てば嬉しいと思ったのです。
多くの患者さんの状態を確かめる事で、より研究のプラスがあると思います。この病気に有効な治療が確立される事を信じています。この気持ちが揺らぐ事はないので、家族を大切に思い、これまでと同様、明るく暮らして生きたいですね。
2 点字を頑張っています。
(1)広島市のOです。 
 点字で皆さんの仲間に入れるかと私も点字を始め、8ヶ月が過ぎます。読みに入って4ヶ月ですが、なかなかです。
書くことは一通り教えていただきましたが、手紙の書き方、文書、の書き方のマスあけなどなど・・・。今は童話を読んでいますが、1枚の用紙に11行くらい点字で書いていますが、それを1時間くらいかかって読みます。
 先日は「桃太郎」でした。次は「鶴の恩返し」、今は「北風と太陽」です。なんだか懐かしく昔を思い出しながら読んでいます。
なんって言いますと すごく かっこいいのですが、そうはいかないです。つまりつまりですが、1枚読み上げた時の気持はすごく爽快です。これも皆さんが言われるように毎日の積み重ねですねえ。
 6点の内、点の少ないのは分かりますが、点の多いのは、どの点がないのかを探して読むようにしていますが、今は1行をあけていただいているので、読むのに 行を間違えることはないですが、広島にあります「心身障害者センター」にあります点字の雑誌を時々触りますが、分かりにくいです。
皆さんとの点字でのお話ができるように楽しみながら点字に慣れます。

(2)広島市のMです。O様、ご苦労の多い中で点字、頑張っておりますね。私も1年前、点字を習い始めましたと、高らかに宣言しましたが、今ださしたる進歩もなく過ごしています。
ただひとつ音声図書テープの巻数が、点字で読めるようになったのは、とても便利になりました。点字教室では、2ないし3行を先生の助けを借りて、やっと読んでいます。
点字の勉強を途中で断念されたという方も、回りに沢山おり、また3年は頑張らないと、なかなかものにはなりませんよ、とも言われています。いつ断念しようかと思いつつ、あと2年は頑張ってみるかと思っている今日この頃です。


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