あぁるぴぃ広島 36号


■巻頭言  残暑 お見舞い申しあげます。

         幹事 広島市 上垣内(かみがいち) 光恵

 会員の皆さん、残暑 お見舞い申しあげます。
 私は物心つく前に網膜色素変性症と診断されていました。私自信がこの病名を知ったのは何歳だったか憶えていないのですが、5才年上の姉も同じrpだったのでいつのまにか感じとっていたのではないかとおもいます。強度近視もある私はメガネをかけても教室では 前から3番目の席でないと黒板の文字が見えないし 夜になると見えないし なんで皆とちがうんかな?お姉ちゃんとおんなじ病気なんじゃ 少しずつ悪くなっていくんかなあ・・。なんて思っていましたね。
 先日の七夕の日 たんざくに 「眼が治りますように」といつも書いていたなあと おもいだしてしまいました。高校3年生の時 矯正視力0.5 視野30度しかなくて 将来を考えて自立するためにも 鍼・灸・マッサージの資格を持つのが良いのではと両親 兄弟に薦められ 特にやりたいこと 得意なこともなかった私は「うーん。そうかなぁ。そうじゃねえ。」と鍼・灸・マッサージの資格をとりました。
 21才からつい先日までこの資格のおかげで仕事ができていました。今まで 私の一番長続きしたことです。 笑い。長続きといえば そろばん・書道・いけ花 数ヶ月しか続かなかったなあ。  茶道は3年続きました (お菓子がおいしかったもの)苦笑  40才過ぎてひょんなことからフルートが私のところに舞い込んできたものだから 吹けるようになると楽しいだろうなあと思い 習い始めて6年目になりました。これが2番目の長続きです。なかなか上達しませんが 老後の楽しみの準備と笑っています。このフルートを少し吹けるようになったことがきっかけで おやじバンドのあらもり祭(さい)の仲間に加えてもらい5年になります。 3番目に続いていることです。
 最近 編み物を習い始めました。 これ続けますよ。
 今のわたしの見えかたは道路の白線と黄色の点字ブロックがなんとか見えている程度です。将来どれくらい見えなくなるのか不安でないといったらウソになりますが、自分で書いた文字が読めなくなった時パソコンと点字に出会いました。鏡に写った自分の顔が見えなくても化粧が出来ます。上手ではありませんが、食事の用意も出来ます。夜、遅くなっても白杖をついて、一人で帰宅します。「何とかなるだろうなあ。」と暢気(のんき)におもうことにしています。
 最近の我が家では「老後の楽しみをみつけておこう。」が話題なんです。わたしは音楽だなぁ。 うーん スポーツもしないとね・・・・。

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