あぁるぴぃ広島 48号


■巻頭言

 子育て奮闘記 
     ホームページ担当 永井美佐(広島市)
 目の異変に気がついたのは、長女が3歳、次女が3ヶ月の頃だった。町内会の寄り合いが終わって二人を連れての帰り道、暗くて道路が見えない。3歳の長女に「おうちはどこ?」と聞きながら帰宅した。
 その後、網膜色素変性症だとわかり、過去の自分の失敗に思い当たる節が多々あったことに、自分はおっちょこちょいだと思っていたが実は目の病気だったことを認識した。
いや、おっちょこちょいは間違いではない。家族で海水浴に行き、次女をだっこして歩いていたら、突然地面がなくなった。2メートル下の砂浜に次女とともに転落、次女は顔じゅう砂だらけになったが落ちたのが砂浜でよかった。ハイハイやヨチヨチ歩きの頃はよく蹴飛ばしたものだ。
 次女と4歳離れて長男が誕生した。私の視力も低下し、仕事で帰宅が深夜になる主人もなかなか子育てに参加できない、そんな中、7歳になる長女が弟をお風呂に入れたりオムツをかえたりと、よく面倒を見てくれた。高校生になった長男は今でも長女にはさからわない。
 子育てで大変だったことは、体に湿疹ができたり顔色がわからないために病気を察知しにくいこと。長女の水疱瘡を見つけたのは保育園の先生だったということもあった。また、こんなエピソードもある。点字を習うため、長男を連れてバスで出かけるようになった。白杖は持っていたが3歳の長男が私の手をひいて歩いてくれた。「階段があるよ」、「よし、みろりになった(信号が緑になった)」など、僕にまかせてと言わんばかりに一生懸命手引きをしてくれた。そのせいか手引きが一番うまいのは長男である。
 とはいえ、長男が中学生の時に一緒に歩くのをいやがったこともあった。三者懇談で教室まで連れて歩かれるのだが、友達に見られたくなかったのだろう、ものすごい早足で歩くので柱にぶつかって眉間を切ってしまった。でも私は長男を攻めることはしなかった。それ以来、一緒に歩くのをいやがることはなくなった。
 子育ての中でこれはよかったなと思うこともある。子供がうっかり茶碗をひっくり返したり、コップを割ったりしても私が怒ることはない。なぜなら私もそんなことはしょっちゅうやるからだ。「うどんの中に七味の袋がはいっとるよ」とか「お弁当の箸箱の中に鉛筆がはいっとったよ」と私の失敗を笑いながら話す明るい子どもたちである。
 先日、高校生の長男が「今日、学校で手ぬぐいで目隠しをして連れて歩かれた」と、視覚障害者の手引き体験の話しをしてくれた。手引きをするのは得意だが、目隠しをして連れて歩かれるのは初体験で、とにもかくにも怖くて足が前に出ない、連れて歩かれていても信用できず常に手を前に出していないと壁にぶつかる気がして、めっちゃ怖かった、と感じたことを素直に話す長男。長女も高校の時に同じ教育を受けており、やはり同じことを言っていたのを思い出し、子供たちが何を感じたのかはわからないが、誰にでも思いやりの気持ちをもって接することができる、そして、どんな逆境にあっても乗り越えられるたくましい人になってもらいたい。
(編集者 注)この原稿は広島市視障協の「会員の広場」に掲載をされたものです。

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