あぁるぴぃ広島 49号


■会員の声(JRPS西日本MLから)


1 世界網膜の日in新潟と観光について(抄)
 福山のIです。
 今日の会場「新潟市総合福祉会館」へ10時30分に到着です。
 受付を済ませて、福祉機器展示会場に向かいます。出展企業と出展品目を説明してもらって、顔なじみの業者さんと挨拶をします。
 11時に多目的ホールに入ります。テーマ:「越後瞽女(ごぜ) を語る」の講演です。
解説:川野楠己(かわの くすみ)氏(NHKチーフディレクター・視覚障害者の伝承文化研究者)瞽女(ごぜ)とは http://www.geocities.jp/gozearchives/about.html以下に一部を紹介します。
 江戸時代から昭和の初めごろまで、三味線を手に有縁の村々を流し歩く目の不自由な女性たちの姿が全国のいたるところで見られました。瞽女と呼ばれる、芸を支えに生きた人々です。
現代のように福祉制度がままならず、医療も未発達であった時代、眼病を患った女性たちが自活する道は極めて限られていました。そんな彼女たちの多くが三味線と唄を習い覚え、米などの農産物と引き換えに身を削るような芸を披露していったのです。
娯楽に乏しい時世にあって、瞽女の底抜けに明るく、ときに哀切の極みをゆく弾きうたいは、彼女たちを迎え入れる側である庶民にとっても一服の清涼剤でした。
 瞽女の存在は、古くは室町時代末期の「七十一番職人歌合」という文献に「女盲」として登場しています。ここでは鼓を打ち鳴らしながら「曽我物語」を語る様子が取り上げられていますが、三味線の普及とともに江戸時代には街道を往来しながら門付けする芸態が一般のものとなり、こうした瞽女の旅姿は歌川広重の浮世絵などにも描かれています。
また、鼓や三味線だけでなく、箏や胡弓などの楽器を奏する瞽女もなかには見られました。地方によっては武士や町人に音曲を教授して生計を立てるなど、その活動はかなり広範だった様子が伺えます。
 越後瞽女(ごぜ)の講演会の後、越後瞽女唄の演奏がありました。キクイさんの瞽女唄演奏:萱森直子(かやもり なおこ)氏(故小林ハルさんの弟子で、数少ない瞽女唄伝承者)以下のURL上にカーソルを合わせて、F5キで聞いてみてください。
越後瞽女唄鑑賞会(2010.10.2) - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=r7N9aXyDlz0
 お昼は会場で昼食弁当です。移動の為、講演会場から出ていたら家内が岡山の奥村さんが来られていると言いましたので、お会いできました。奥様とお二人で参加のようです。隣には金沢まりさんもおられました。お元気になられたようで安心しました。
 昼食を済ませてトイレに連れて行ってもらって帰っていたら、Mさんが私を探している方がおられると言って私を探してくださいました。何と新潟市のHさんでした。
新潟の方に何人会えるかなと思っていただけに、少しの時間の立ち話でしたが、嬉しかったです。ありがとうございました。
 午後からは、付き添いの女性は、新潟市内地図を片手に市内観光に行きました。トキメッセまで歩いて行ったようです。トキメッセは地上140メートルあるとか…! 
展望室からは日本海が一望出来て新潟港佐渡汽船もすぐ目の前に見えたようです。新潟空港も見えたとか! 佐渡島も見えるとか聞いていますが、モヤがかかっていて見えなかったようです。古町辺りも散策したようです。
一万歩以上歩いたようです。もう今日だけで、2万歩を超えていました。
 席に座っていると左の向こうで聞き覚えのある声がするではありませんか…!
 そばに寄ってみると徳島のKさんが数名を連れてこられていました。徳島から羽田まで飛行機で来られて、新幹線で新潟に来られたようです。これまた遠方よりご苦労様でした。
 午後の部で1時より3時までは第17回研究助成授与式です。受賞者:村上祐介氏(九州大学大学院医学研究院眼科学分野)200万円を授与。  受賞研究: 「ゲノム酸化損傷を標的とした網膜色素変性に対する治療法の開発」
  受賞者:大石明生氏(京都大学眼科)100万円を授与。受賞研究:「次世代シークエンサーを用いた網膜色素変性症の網羅的変異スクリーニング」
 午後3時からの講演の前の休憩です。ボランティアさんにトイレに連れて行ってもらいます。その後席について、Sさんから前の方に鹿児島の方がおられるようだと言われたので、声をかけてみました。何とイプシロンロケット打ち上げを見学された、鹿児島のIさんでした。(ニッコリ) ヘルパーさんと一緒に高速バスで福岡まで来て、そこから飛行機で新潟へ来られたようです。3泊の連泊とか…! 遠方よりご苦労様でした。費用も大変だったと思います。
 午後3時から4時まで、記念講演Uとしてテーマ:「人生の場数(ばかず)」 講師:月乃光司(つきの こうじ)氏による講演がありました。
(作家、詩人、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」代表)アルコール依存症、薬物依存症、摂食障害、自殺未遂…などがあって現在は立ち直って、ビル管理会社に勤められていま す。10年表彰を受けたとか…!
◆プロフィール
 1965年生まれ。高校入学時から容姿に対するコンプレックスから不登校になる。引きこもり生活、合計4年間を過ごす。24歳よりアルコール依存症になる。自殺未遂、アルコール依存症により精神科病棟に3回入院。27歳から自助グループに参加し、酒を飲まない生活を続ける。自伝的小説『窓の外は青』(新潟日報事業社)を平成13年に出版(にいがた市民文学奨励賞・新潟出版文化賞入選)。会社員のかたわら、「生きづらさ」をテーマにした、対談、ライター、イベント主催などの活動を行う。心の問題の相談番組・BSN新潟放送「ハートセラピー」司会を務める。心身障害者のパフォーマンス・イベント「こわれ者の祭典」発起人・代表。平成19年、対談集『病気だョ!全員集合』(新紀元社)を出版。
 以下のサイトをご覧ください。
こわれ者の祭典 1/3 -
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=LbwUdHUncvI
 以下が当日の誌の朗読のパフォーマンスの一部です。
月乃光司 引きこもり hikikomori japanese -YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=iEwvcRt_3U0
月乃光司 ?@tukinokouzi 9月21日
 今日は「世界網膜の日」で講演と世界チャンピオンになった気分でした。これから会社で深夜点検。早朝、こわれ者メンバー一同、車で東京へ移動とややハードですが、がんばります!明日のこわれ者ぜひ来てね!
pic.twitter.com/hDEYPYCYiA
 講演会を終えて、徒歩で「新潟東急イン」に向かいます。チェックインして、先に宿泊料金を払います。朝が早いので、そのためです。
部屋に荷物を預けて懇親会場に向かいます。会場では丸テーブルが11個ありまして、各支部ごとに分けてありました。私たち広島県支部の5名は11番テーブルです。他に本部役員2名が同席です。総勢で70名から80名程のようです。
18時から懇親会の始まりですが、肝心のOさんが、大会会場の片付けが終わっていません。しかし地域担当の乾杯で懇親会の始まりです。料理ですが次々と出てきます。しばらくの間歓談です。
 各支部ごとの代表者による自己紹介がありました。東京支部からです。参加者全員の名前を紹介されない支部もありまして、参加者のお名前が分かりません。そんな事でこのMLメンバーの何方が参加されておられるか分かりません。(苦笑)
でも、京都のYさんが会いに来てくださいました。(ニッコリ)ありがとうございました。やっぱり自己紹介の時は、自分の名前とテーブル番号を言わないといけませんね…!無事に懇親会も2時間ほどで終わりました。今日(21日)のお泊りは新潟東急インです。部屋に戻り風呂に入って早めに寝ることにしました。

2 広島市のMです。
(1)今年もベランダにゴーヤの緑のカーテンが出来ましたその周りで、私は洗濯物を干します。ゴーヤの花に集まる虫の羽音が聞こえます。蜂ではないかと気になりますが、今の所は刺されずに済んでいます。
 私の誕生日にあわせて、今年も東京から小1のはるちゃんと、3歳のすずちゃんがやってきます。じじばばは、日頃、虫に刺されている気はしないのですが、ちびっ子はアチコチかまれるようです。そこでいつもちびっ子が来る前にバルサンをたきます。昨日それをやりました。バルサンをしかけて、家内と外出。
 早めの夕食をいただき、夜は平和コンサートを聴きました。今年のメインゲストは、上条恒彦さんでした。1940年うまれとのことですが、あの迫力ある声は、まだ健在でした。68回目の原爆記念日ですので、帰りがけ、灯篭流しを見ながらかえりました。今年も満ち潮で、灯篭は川の上流にあがっていったそうです。やがて引き潮とともに灯篭は川をくだりますから、昨夜は永く灯篭が楽しめたことでしょう。
 さて、帰宅してからが大変でした。バルサンの跡始末です。バルサンの効き目は、半信半疑です。暑い一日でした。
(2)毎年なつになると、適度に雨が降ってくれることをねがいつつ、祈りつつ日をすごします。今年は特に暑さ厳しく、雨もふりません。例年ですとあきらめの心境ですが、今年は毎日水遣(みずや)りに励んでいます。おかげでキュウリもトマトもゴーヤも元気に実をつけて、食卓を豊かにしてくれています。
 昨年畑の耕作仲間が一人加わりました。「定年を迎え、今は自由な畑仕事が楽しくて・・・。」と申します。畑は牛田山のふもとにあります。山からしみ出た水が小川を作っています。畑のすぐ近くにも小さな支流がありますが、流れが小さく、すぐ枯れます。彼はここに風呂桶ほどの水槽を設置しました。竹のといを用いて、水槽まで水を取り入れました。水流は細くなりつつありますが、水はいつも水槽にあふれています。
 私はバケツに水を満たし、20メートルほど運んで、野菜にたっぷりあげます。初めはなかなかきつい仕事でしたが、野菜が喜んでいると思うと毎日、楽しみな仕事になっています。「見えない人が水を運んでいるとは思えませんね。」などと言われて、気分を良くしています。慣れると結構スイスイ歩けます。
 畑の周りには私には危険な段差がアチコチあります。私はいつも細心の注意を払って移動します。そんな危険な場所に、彼は竹を組んで、私が安心して歩けるようにしてくれました。アチコチに手すりも付けてくれました。
 世の中にはすごい人がいるものだと、感謝感激です。荒地だった周囲もどんどんきれいになり、「見違えるようだ。」と家内が言います。見えないのが残念です。「来年はヒマワリでいっぱいにしましょうか。」と彼はいいます。夢がふくらんできます。
(3)待望の雨が降りました。毎日の水遣(みずや)りから解放されましたが、仕事がなくなってちょっぴり寂しいこの頃です。19日に74歳の誕生日を迎えました。その日、東京からやってきた孫が、今日東京にかえっていきました。毎日、プールや川遊び、動物園など、よく遊びました。
 私の誕生日には、自分を含め、大人5人、子ども6人が集まり、にぎやかにお祝をしてくれました。誕生祝いや応援メッセージをありがとうございました。もう少し若いときには、また一つ年をとるのかと、誕生日を素直に喜べなかったような気がします。今回はうれしく、ありがたく、感謝の気持ちで誕生日を迎えました。
 同期の仲間もたくさん見送りました。さて来年の誕生日は迎えられるのかなと思います。楽しいこと、やりたいことを日々大切に生きて生きたいと思っています。また一つ年を重ねられたなと感謝しつつ、当面喜寿をめざして、頑張りましょう。


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