巻頭言

「JRPSと出会って」 〜引き算から足し算へ〜   副会長   森信 志津夫






私は幼い頃から夜盲の症状があり、外で遊んでいて夕方になるとみんなはまだ遊んでいても、見えなくて一人で先に帰っていました。
中学生になると、冬季の部活は終わりまでできず、日没前に一人抜けて帰っていたのを思い出します。
ちなみに、私は中学、高校と柔道部に所属し、6年間自転車通学をしていましたが、時には帰るのが遅くなり自転車ごと道路脇に転落したことも何度かありました。
それでも大したケガもせずに済んだのは柔道部だったおかげでしょうか。受け身だけは得意でしたので。
しかし、夜盲のほかに少々の弱視はあったものの特に不便を感じることもなく、高校を卒業すると車の免許も取って普通に就職しました。
そんな私が網膜色素変性症と診断されたのは、今から37年ほど前の20歳頃のことでした。
その時、将来は段々視野が狭くなっていくこと、失明する可能性もあることなども聞いた気がしますが、あまり深刻に考えることもなくその後も過ごしていました。
ただ、日が暮れると車の運転ができないということだけは、私の行動を少なからず制限し続けました。

それから20年近くが経った頃から、いろいろな場面で視野が狭くなったことに気付くようになりました。
合わせて視力の低下も徐々に進み、仕事や日常生活に少しずつ支障を感じるようになっていきました。
知人の勧めで障害者手帳を申請し、3級の認定を受けたのは45歳のことでした。
高卒以来、県北の山間地域で学校事務の仕事に就いていた私にとって、通勤や仕事で車の運転は不可欠なものと思っていました。
それでもだんだんに自宅から近い職場に異動させてもらい、仕事でも日常生活でも最低限に留めながら続けてきた車の運転でしたが、53歳でとうとう運転免許証を手放すこととなりました。
仕事においても事務処理能力は徐々に、そして大きく後退し、周りの理解や支援を受けながら「あと一年、もう一年」と自分なりに頑張ってきましたが、定年まで6年を残した54歳の時、36年間勤めた仕事を辞めました。

それまで普通にできていたことが段々できなくなっていくという「引き算」を続けてきた私は、仕事を辞めてからも「仕事もできない私が何もできる訳がない」という考えにとらわれ、何をするでもなくいつしか1年以上が過ぎていました。
「このまま引き算を続けて、そのうちいつかゼロになるのかな」持て余した時間のなかで、ふとそんなことを考え出した頃、一方で「まだまだ人生は長いのだ」とも思い始めた私は、一歩だけ足を踏み出す決意で一本の電話を掛けました。
実は、私が仕事を辞めた時、そのことを聞きつけたある人から電話をいただいていました。
その人は私が20代の頃勤めていた職場で一緒だった先輩教職員でした。
彼女の夫は当時高校の教員をしておられましたが、やはり網膜色素変性症だったことから、いろいろと相談にのってもらったりアドバイスをいただいた人でした。
私が仕事を辞めたことを知り、障害の進行によって仕事を続けることが困難になったことを悟った彼女は、その後のことを心配して電話を掛けてくれたのでした。
その電話で彼女は、私にある人を紹介しその連絡先を伝えてくれました。
それが現会長の花田さんだったのですが、私はすぐには連絡することはありませんでした。

それから1年以上が経過した昨年の7月、小さな一歩を踏み出そうと決意した私は、花田さんに思い切って電話を掛けました。
「ちょうど北部の交流会がありますので、もし良ければ参加してみますか?」
花田さんの誘いで初めて参加した北部交流会。これが私とJRPSとの出会いでした。
同じ障害を持った人たちとの出会いは、今までに感じたことのない連帯感や安心感、いやいや、そんな言葉では言い表しようのない様々な熱い感情を私に与えてくれました。
そして、障害による不自由さを数えてふさぎ込むのではなく、現実を認め工夫しながら乗り越えていく生き方に気付かせてもらえました。
さらにもう一つ、私のこれまでの人生を振り返った時、人よりも視力が弱いというハンディキャップを理由にして、どれだけたくさんの事から逃げてきたことか。
「眼が悪いからできません」と言えば許される。
そのことを利用して、面倒な事柄を避けてきたことも何度もありました。
しかし、この仲間たちの前ではそんなことは全く通用しません。
私は前を向いて歩くしかないんだということを思い知らせてくれました。

この出会いから1年余り、私は花田さんにたくさんの場に連れて行ってもらい、たくさんの仲間や支援してくださっている人たちと出会いました。
(酒もたくさん呑みました 笑)
そして、ついこの前までゼロに向かう引き算を繰り返していた自分が、いつの間にか足し算を積み重ねていることに気付きました。
もちろん、そのことに気付かせてくれたのも、これまで出会ったみなさんです。
私はこれからも多くの人たちと出会いながら足し算を続けていくことができると思います。
そのこと自体が大きな喜びだと感じています。
同時に「もっと早く小さな一歩を踏み出していれば、違う人生もあったのかな」とも時々思うのです。
同じ障害に悩み、相談する相手も見つからずに一人で抱えている人や、日々の仕事に疲れ一歩を踏み出す余裕のない人がおられると思います。
その人たちもJRPSと出会うことで、私と同じように引き算から足し算に変わることができればいいなと思います。
私はまだまだ知らないことがたくさんあります。
これからも私自身の、そして同じ障害を持ったみなさんの生活の質の向上を目指して進んでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

次へ 目次