会員の声







☆ 移動中におきたこと 広島市  Tさん

私は出かける時、充分気をつけていてもいろいろなアクシデントがよくおきています。
落とし物をしたり、ころんだり、反省する日々を過ごしております…
ある日の事でした。
突然目から火が出るほどの衝撃で鼻とひたいを打撲してしまいました。
はずかしいのと泣きたい気持ちをおさえて、頭をあげてみれば、点字ブロックの延長の先にあった、開閉式ドアと仲良くゴッツンコしてしまったのです。
今思えば、ブロックが終わった先は、だいたい自動ドアだと勘違いしていたかも知れません(笑い)。
骨折はなかったのが幸いでした。

透明なガラスは、私たちにとっては、とても危険がひそんでおります。
なんとかしないと同じような事が起こりうるかも知れないと思い、店舗のかたから上司を呼んで頂き改善策を申し込みました。
しかし、最終的には、ビルの管理会社の担当者が来られました。
いきさつをお伝えしたら一応写真をとっておられました、私からの要望として透明ガラスに見分けが出来るようななんらかの、シールなどを貼っていただきたいとお願いしました。
その後、ひと月ほど経ってドアを見たとき、大きくわかりやすいシールがはってありました。
これで安心して通行ができます。
後日対応して下さった企業の方にお礼の電話をかけさせていただきました。

いろいろな問題がたくさんあります。
小さな事でも、勇気をもって申しでることで解決につながっていくのだと実感しました。


☆ 三角点を目指して 【後編】 三次市のHさん

二つの一等三角点 (吉和冠山、野貝原山)

朝食をして後片付けをしリヤカーに荷物を載せ、自動車に荷物を積み込むと、もう7時だった。
予定通りの時間で、もみの木森林公園を出発でき、車は廿日市に向かって国道を南下した。
途中明石を通り過ぎる時に、昔なら明石からレジャーランドを通りぬけて少し歩けば野貝原山に行くことができたが、今は閉鎖されており向かうことができない、との説明があった。
しばらく車を走らせ、途中コンビニで甘い物を買った。
川末の近くになると地元の人に道を尋ね、目的地のあたりに自動車を止めた。
隊長は歩きながら時々地図を見ていた。
しばらく歩いて道を尋ねたおじさんは我々が行きたい登山口を良く知っているので軽トラについてこいといい、徒歩の前をゆっくりと走ってくれた。
最後の家をすぎて何枚かの畑があり、アスファルトの道は行き止まりになっていた。そこに軽トラも止めてあった。
自動車を止めて歩き始めたのが8:50だったので、すでに1時間歩いていた。
いかにも登山口の雰囲気で、ようやく登山口についたのだ。
著名ではない山の登山口には看板はない。
地図と地元の人の話で判断するしかない。
しかし隊長とおじさんは地図を見ながら頭をかしげていた。
どうも地図が古いようで目印にすると分かりやすい鉄塔が載っていない。
我々が予定していた道はほとんど人が通らないのでやめた方がいい。
迂回ルートの泉水峠を通って野貝原山を目指した方が安全だと教えてくれた。
おじさんは昭和7年生まれでワンダーフォーゲル部だったといわれ、中国電力の工事の時には道案内を頼まれるほど、このあたりの山道はとても良く知っている。
どうせ暇なのだから途中まで案内してやろうといってくださった。
一般的に昭和7年生まれは老人かも知れないが、このおじさんは違っていた。
急こう配の山道をどんどん進んでいくおじさんに我々はついていくことができない。
5分に一度待ってもらうほど先頭のおじさんは軽快に登っていった。
9:50に登山口を出発して20分くらいで第15鉄塔に着いた。
ここまでリードしてくださった超老人にお礼をいって次の第14鉄塔を目指した。
泉水峠までは登山口から40分くらいとのことだったが、それらしいところはないまま、峠を越した。
山道を道なりにくだると急に明るくなり、林道のような道に出た。
林道を登り方向に少し進むと右手に砂防ダムがありさらに進むと突然建物が現れた。
建物の間から見えるのは広いグランドのようでコンクリートで舗装してある。
建物にゴーカートの看板があることから昔レジャーランドだったというエリアのようだ。

11時を少しすぎていたので昼食にすることにした。
今朝の朝食は6時だったので早すぎるということはない。
昼食は朝炊いたご飯をおにぎりにしてくださっていたので、ありがたくいただいた。
昼食を食べて出発しようとした時に雨粒が大きくなり、私はカッパを羽織った。
11:30だった。
いよいよ野貝原山の一等三角点は近いはずだ。
林道をもどって山道に入り三角点の方向に登り坂を進んだ。
しばらく歩くとまた林道に出た。林道の勾配はゆるやかな登りで何度も蛇行していた。
きつねにつままれているような気がしていた。
時計がちょうど12時になった時、隊長から帰りの時間のことも考えないといけない。
何時まで進むか?別の言い方をすれば何時あきらめるか。
もちろん今回行けなくても次回は必ずいく。
そのタイムリミットを決めようとの話があった。
話し合いの結果3時には下山したい、逆算してタイムリミットは1時ということに決めた。
ゆるやかな林道を登っていくと左手に随分古いコテージがいくつかあり、さらに進むと広い駐車場らしき場所やホテルのような廃墟が点在していた。
このあたりから林道をどんどんくだっていった。
なぜ今こんなにくだらないといけないの?
三角点は山の上にあるはずなのになぜ?そんな疑問が口から出そうになった。

タイムリミットが気になり始めたころ、林道は急な登り坂に変わった。
林道から左に入る山道があり「もう近いぞ」との声。
進んでいくと道がなくなり、膝まで草が垂直に伸びてきて、どこが道かがわからない。
草を踏んだ足跡もなくここに来る人はほとんどいないということなのだ。
登山道という雰囲気ではなくなったところに一等三角点があった。
少し離れただけで三角点が草に隠れてしまう。
周りの木々は手入れをした感じはなく、となりの山を伺うことはできない。
もちろん吉和冠山も見えない。
この三角点も光学式測量機でレンズを覗く役目はなくなり、現代的なGPSを用いて測量をしているのだろう。
この三角点からも空は良く見える。

12:55 野貝原山733m三角点到達。16番目、バンザーイ。
皆でタイムリミットの5分前に三角点に到達できたことを喜んだ。

13時丁度、下山開始。ゆっくり休んでいる時間の余裕はない。
下山は三角点を発見できた喜びから、足は軽かった。
山道から林道に出て少し下り、見通しのいい長い登りがあり、いくつかの廃墟のそばを通って12番鉄塔の看板から再び山道を歩いた。
下りがきつくなる前に、いつものように杖になる枝を探してもらった。
吉和冠山と比べて丁度良い枝を見つけるのに時間がかかった。
杖になりそうな枝はどれももろくなっていて、音もなく折れるような枝が多かった。
それでも何とか杖になりそうな枝を隊長は見つけてくれた。
鉄塔沿いに標高700mくらいから400mに一気に下った。
勾配のきつい所はトレッキングシューズのエッジをたてながら、小さく右へ左へジグザグに歩いた。

14:30 川末登山口に戻る。
隊長が地図を取り出して地形と比較していた。
どこをどう通ったのかを確認しているとのことだが、どうも納得できていないようだ。
車道を歩いて、15時、自動車に戻った。
左手に持っていた枝杖を山に戻して、右手の白杖をたたみ、濡れているカッパを脱いだ。
急いでカッパを丸めてビニール袋に入れ、リュックに押し込み、車に乗り込んだ。
宮島ICで山陽自動車道に入り中国道で三次へ戻った。
この日、万歩計は2万2千歩だった。
昨日の吉和冠山よりも随分歩いていた。

広島県内の一等三角点は17ヶ所です。
最後の三角点は堂床山(安佐北区)860m。
スタートからもうすぐ10年になるが、ゴールは近い。

次へ 戻る 目次