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●生体実験を希望

白川秀信 47歳 大分県


 秀信、頑張るんだ、お前の人生は決して人並みではないが、必ず「目」のことだけは、何とかなる。と、俺は自分自身に絶えず、ハッパを掛けてきた。

 17、18歳の頃、耳は完全失聴になったがその時は、まだ「見る」ことで、人間やって行ける。と長い間、生きてきたが37、38歳の頃、網膜色素変性症で、それもかなり進行していることが、当時医者の診察で分かった。

 その時から、俺は見ることで生かされてきた。との思いで、急に目の見え具合が、常に気になりだした。医者の出す薬・漢方薬・健康食品など色々と、目に良いと考えられることはしてみた。

 この病気を知る前から運動不足に良いと思い、時々走っていたが、それを回数を多くするなどして強化してみた。走ることは、血液の循環を良くする、との思いからですが、確かに、何もしない時より体は軽くなるようです。ようするに、動作が速くなるわけですが、他に感じたことは何もありません。ただ、走ることにはお金がかからないので、今でも続けています。

 小生は、本来“スポーツ”は、する方の立場ではなく、見る方の立場ですが、俺自身の事だから、と患者の1人として常に、一生懸命、でしたが、そんな小生の気持ちなどお構いなく、病気は進行を続けている。

 患者個人の一生懸命だけでは、どうにもならない。人は、耳や目で外部から情報を得ること、それを元に、考え行動に移る。情報が入らなければ、人は、人ではなく人に良く似たお地蔵さんか石仏みたいな状態になります。俺も、まだ、そこまで経験していないけど、この病気は進行性のものです。患者の意思とは関係なく、何も出来なければ何れ、失明します。動物実験で成功すれば、つぎは人間、学術が怖がっていては何も出来ない。この10年程、患者の一人として一生懸命だった。

 遺伝子異常によるこの病気は、学術にも患者にも、そう優しい病気ではない。このアッシャー症候群の「つらさ」はそれを体験した患者でないと分からない。「俺の目で生体実験を」残された人生をこれに賭ける。そんな奴が日本にも1人ぐらいいてもいい。

1999年4月 日本網膜色素変性症協会 患者会員となる。

2002年1月 アイヤ会会員となる。


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