『色素変性症と付き合って』

                         (男性 福津市 70代)


私が網膜色素変性症の診断を受けたのは、52〜53歳の時でした。会社の定期人間ドックで「目の精密検査を」との指示があり、大学病院への紹介状を頂きました。そして大学病院での診察結果は色素変性症でした。私は49歳の時に胃を全摘しており、その際に脾臓も摘出していました。その為に免疫力が低下して、色素変性症を発症したと思われるとの事でした。

しかし私は全く実感がなく、車の運転もして四国の88か所も回ったりしました。そして無事、定年退職をしました。
定年後、時間ができ、新しい趣味が2つできました。1つは週1〜2回のウォーキング(約7〜10q/回)です。もう1つは年4回程度の一人旅(3〜4日/回)を始めました。 ウォーキングは、JR主催に参加し、いろいろな町や山道を、速歩を心掛けながら歩きました。昼食のお弁当と時々のワンカップが最高の楽しみでした。

この時の速歩が健康の回復の源になったと思っています。一人旅は、生まれ育った大阪そして京都、四国を旅して、起きたい時に起き、食べたい時に食べると言った気楽さが味わえる最高の日々です。
 
ところが、65〜66歳頃から目の異変を感じる様になりました。知らない駅で下
車し、ウォーキングコースへ行くのが困難になり、コースに入っても途中で外れたりしました。特に日が暮れると、最寄りの駅からの帰宅までもが厳しい状況になりました。そして、定年退職後、週3〜4日の勤務で勤めていた仕事も通勤が厳しくなり、退職せざるをえませんでした。この頃が私にとって最も厳しい時期でした。

そんな時に家内の友人から、自立訓練のセンターがあることを教えて頂きました。そして歩行訓練を受け、再び大好きなウォーキングと一人旅へと再挑戦を始めました。ウォーキングは、全く知らない所や道は不安でしたので、過去によく行った好きなコースを歩くことにしました。東郷駅から宗像大社へのコース、赤間の釣川ぞいのウォーキングロード、海の中道公園、東福間駅からの久末ダム周遊コース、二日市駅から太宰府へ、そして新たに大濠公園などです。 そして以前のように速歩を心掛けています。

一人旅も再開しました。一昨年、四国に行くために、新幹線小倉駅の改札口に入ったところ、駅員の方が二人来られて「どちらに行かれますか?」と問われ、私が切符を見せて「四国の善通寺です」と答えますと、「それぞれの駅の乗り換えのガイドをします」と言われ、小倉駅では列車に乗り込むまで、岡山駅ではホームから四国行きの列車に乗り込むまで、そして、目的地の善通寺駅では、ホームで待ち受けて下さり改札口までガイドして頂きました。私は感謝するとともに、一人旅への自信を回復しました。

そして、私の好きなウォーキングも一人旅も、また日常生活も、人々のご親切と白杖が支えの私ですが、心の支えは、本来であれば私が支えなければならない家族が心の杖になってくれています。ありがとう!!


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